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耳に優しいおしゃべり

 またやってしまった。再発性角膜びらんである。角膜びらんについては以下を参照。かれこれ8年以上悩まされている。たぶんパソコンを触る仕事をしている以上、治すのは難しい。

 「おきのつぶやき日記」でも書いていたとおり、1週間前から目がゴロゴロしていて調子が悪く、騙し騙し過ごしていたところにどでかい痛み。毎日まじめに目薬を点していてもこれだから、正直とても落ち込む。おまけに誕生日に目が痛くて開けなくて魘されながら寝込むとか、最悪すぎて逆に笑える。

 目を剣山で刺されているような痛みがあり、症状の出ていない逆の目を動かすだけでも痛みが響くため、両目とも開くことができない。そして閉じているからといって痛くないわけでもない。眼球ぶん取りたい衝動に駆られる。一人暮らしができない理由のひとつでもある。

 この症状が出るととにかく気持ちも下がって、音楽すらも聴きたくなくなる。だからといって無音もつらい。そんなときにほっとできるのが「おしゃべり」だ。家族に頼んで、iPhoneからYouTubeに上がっている「金属バットの声流電刹」の再生リストを垂れ流しにしてもらった。

 金属バットのラジオはBGMがなくて、おしゃべりもそこまでテンションが高くもなければ低くもなくて、媚びないけど愛嬌はあって、最小限の集団=ふたりで、ご両人とも声は低めで、語り口が乱暴ではなくて、会話の転がり方とテンポと空気感が良くて、ワードセンスが光る。公園のベンチでたまたま隣に座った兄ちゃんたちのおもろい雑談がたまたま聞こえてくるような感覚が、ぐったりしている心身にはまじでちょうどいい。

 面白い芸人さんが多いなかでも金属バットが好きなのは、自分がフラットなときのモードと波長が合うからだと思う。気持ちよく入れるお風呂とか、やわらかいお布団とか、気心知れた友達との時間、みたいな感じ。安心できるからぼーっとできる。ふたりのフリートークで成立する声流電刹は、特にそんな印象がある。

 「自分は音楽に対しては見たことない世界やどきどきを求めているけど、おしゃべりには癒しを求めてるのかもしれないなあ」なんて思いながら声流電刹を聞いていたら、知らないうちに1時間ちょっと眠っていた。

 「声」と「語り口」はその人の纏う空気や感情を音にしたものなのかなあ、なんて思う。話してる内容よりも声や語り口という「音」が真意を語ってることもよくある話ではあるし。

 そんな感じで金属バットのおしゃべりは、スイッチを切った自分にいろいろちょうどいい。声流電刹があってよかった〜。めちゃめちゃいい音聞かせてもろてます。

 わたしも半年ほど放置してる音声ブログ再始動させなければ。ちかぢかアシさんに電話してみよ。アシさん生きてるんかな。


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