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すみません、無理しません

このところ、noteでフォローしている方の記事をほとんど読みにいけていない。読みたい気持ちはあるのだが、楽しく読めそうな気分になれなくて、自分の記事の更新だけをして閉じてしまう。

「スキ」を押してくださった方の記事も、全然読みにいけないでいる。別にお返しで「スキ」を押すわけではないが、どんな方が私の記事を「スキ」だと思ってくださって、その方はどんな記事を書いているのか、気になるのだ。なのに、以下同文である。

落ち込んでいてはうまくいくこともうまくいかない、ということはあるし、うまくいってなくても元気であればうまくいくこともある。気の持ちようというのはとても大事である。

ただ、上がらないものを無理に上げるのにも程があるような気もしている。口角を上げて笑顔を作れば、少し楽しい気持ちになれるかもしれないが、真顔に戻った時にそれはすっと消えてしまいそうに思える。ずっと続くものなどないので、そこはまた、笑顔を作っていくしかないのだろうか。

笑顔を作ろうと試みつつも、だめだな、と思った時は真顔でため息をつくことにする。無理をするのもよくないように思う。だが、そういうところに思考が着地しているのは、気持ちが弱っているがゆえに無理をしたくないだけのことかもしれず、ちょっとくらいの無理も必要なのか。判断能力もどうにも鈍っている。

フォローしている方、スキを残してくださった方の記事を読みたい気持ちはあるので、元気な状態になれた時に、読みにいきます。不義理をしていて申し訳ないです。ということが言いたい記事だった。

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