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誰のための復興

 新型コロナが5類に移行した影響で、ここ数年釜石に来るのを控えていた人たちが再び足を運んでくれるようになっている。そんな流れで釜石市内で開かれたある懇親会に参加した。
 その会で、幼少期を釜石で過ごしたという人と話す機会があった。私と同世代くらい(40代?)と思われるその人は、5歳で釜石を離れた後も 祖母のいる釜石に頻繁に帰ってきていたという。

 東日本大震災から間もない時期に祖母を訪ねて来たものの、変わり果てた釜石の光景を目の当たりにした衝撃が大きかったのだろう。それ以降、数年間は足を運べなかったのだと、時折、涙を見せながら話してくれた。この人の中には、私の記憶はない震災前の釜石の街並みが今も残っているのだと感じた。

 私は復興支援員という立場で6年半、復興が進む釜石の中で暮らしてきた。復興は、今地域で生きている人、津波で亡くなった人、地域を離れることを余儀なくされた人、そしてこれから地域で生きていく人たちーー彼らのために進めていくべき壮大な事業なのだと考えていた。
 もちろん、国の税金を使う以上、被災した人たちや地域ためだけの復興ではないけれど、でもやっぱり、地域の人たちの思いを何より大事にしたいと思ってきた。

 でも、震災当時は被災地にいなくても、この地域を愛し、気にかける人は全国にたくさんいて、その中には復旧・復興にかかわりたくても関われなかった人もたくさんいただろう。
 たまたま自分は生活環境やライフステージ上、自由になる時間とお金があったからボランティアに通ったり、会社を辞めて復興の世界に入ったけれど、それは云わば偶然で、恵まれていただけのことだ。

 釜石の復興は、人生のひと時を釜石で過ごし釜石に思い入れを持つ全ての人のための事業だった。震災から10年たち、復興は終わってこれからは次のステージだという時期にコロナ禍が始まり、釜石への人の流れはだいぶ途絶えてしまっていた。
 これからの世の中がどうなるかは分からないけれど、少なくとも2020~22年の3年間に比べると、人の行き来は増えるだろう。釜石のことを気にかけてくれていた人たちが数年ぶりに訪れた時、このまちで何を感じるのだろう。震災前と比べて、いや、比べなくても、やっぱりここが自分にとって大切なまちなのだと思ってもらえたらうれしい。そのためにはその人が釜石との思い出を再び紡ぎ出すための“何か”が必要なのだろう。

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