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2023年 振り返り

2023年はシンプルに目の前のことを楽しめた1年でした。

若干、仕事に重きを置きすぎた感はありますが、仕事も、友だちや仲間、家族と過ごす時間も、楽しくて大事に思えたことが、とてもありがたいよい年だったなあ、と新幹線の中で振り返っています。

●よく動き、よく書き、よく笑った2023年!

さかのぼると、40歳が見えてきた5,6年前から、年がら年中、どこかしら調子が悪いことが続き(不定愁訴というやつですね。続く微熱、蕁麻疹、長引く風邪、ひどすぎる肩凝り……)、身体が重いというか、大型トラックのタイヤでも引きずりながら過ごしているような感じがありました。

2年半前には、復興支援員活動の終了と独立のタイミングで過労と寝不足から、不眠に陥り、メンタル(というか脳)がダウンし、1ヶ月ほど休業。そこから再び仕事に打ち込んできましたが、仕事以外のことを楽しむ体力的・精神的な余裕がなかったり、新しいことを始める意欲が低下していたり、いまいちすっきりしない時間を1年ほど過ごし、私ってもともとこんなだったかな……ともやもやしていました。

しかし、今年に入ったころから自然と仕事でもプライベートでもこれからやりたいことが色々と思い浮かぶようになってきて。あらためてトレイルを歩き始めたり、しばらく会っていなかった友人たちと会う機会を作ったり、たくさん動いてたくさん笑う、そんな1年間を過ごせました。

あと、人のご縁の不思議さとありがたさを例年になく強く感じた年でもありました。特に、来年発行予定のある媒体のお仕事は、鹿踊を見に行った遠野の神社で再会したA先生との会話をきっかけに私のもとに来たお話。20年来、著作の読者であり、新聞記者時代には編集担当として原稿を催促していたA先生と3年ぶりに再会し、雑談していたところから、「それは私が書くしかないでしょう!」という、とてもおもしろく、そして意味のある媒体にかかわるチャンスをいただきました。

東北とかかわるようになったきっかけはたくさんありますが、そのひとつであるA先生との再会が、みちのくをテーマにした文章につながるのは偶然であり必然であり、人とのご縁は巡るものなんだなあ……。

新聞記者としての経験も、復興支援員としての経験も、すべて今につながっています。

そんなこんなでたくさんの仕事を抱えた年末ですが、気分はすっきり。こういう気持ちで年末を迎えられることに感謝。

●2023年の仕事

仕事では、新たに書かせてもらえる媒体が増えた1年でした。
・東洋経済オンライン
・東北食べる通信(原則、隔月担当)
・来春発行予定のムック本
・来春公開のweb記事と読本

前年から継続のお仕事も。
・ココカラオオツチ 「生きる」
・エムスリー
・大槌町ふるさと納税 返礼品事業者紹介

一方で、キャリアコンサルタントとして、また(一社)いわて地域おこし協力隊ネットワークで運営する研修事業の担当者としては、自分のスキルや経験、知見の不足を痛感する場面が多く、学ぶ時間もあまり作れなかったことを反省。2024年は、キャリアコンサルタント資格の更新を見据えて、学んでいこうと思います。

●2023年 そのほかのこと

釜石に住んで9年。震災から3年は自身が住んでいないので、あくまでこの9年間の話ですが、今年は、終わりと始まりの年だったと思います。釜石市議選には仲間内含めて知り合いが3人初出馬で初当選し、これから少しずつ色々なことが変わっていくのかなという気配を感じます。

一方で「かまいしの第九」が現在の形での開催は終わったり、釜石ではないけれど、千年の歴史ある水沢の蘇民祭が存続断念したりと、これまで続いてきたことだからこの先も続くものではないんだということが色々ありました。

コロナ禍を経て形を変えて復活した釜石よいさのように、「続けたい」という強い意志があり、その意志を実現するためのプランがあるものだけが残っていく。(よいさが来年どうなるのか、現時点では私は把握していませんが、残っていくという願いを込めて)そういう時代が来ていて、それがコロナによって加速したことを実感する今日このごろ。

担い手不足を理由に長らく続いた文化が途絶えてしまうのはせつないことではありますが、一方で、「存続断念」という意志がいったん表明されてからでも、外部の人たちも加わってオープンに議論して、知恵やお金を出し合って存続に向けて動ける時代でもあるのではないでしょうか。
(もはや自分の振り返りではない……)

●2024年にむけて

去年から本を出すという目標があって、関係者にもお伝えしてあるのですが、正直どこから手を付けてよいやら……という感じで進められていません。

そんな時にまったく偶然に今年は、本に近い媒体(ムック)の仕事を頂き、ページ数などは全く違うものの、なんとなく「本」に近づいてきた気はするので、来年はもう少し具体的に考えたいと思います。(色んなメディアがある今、なぜ本なのかといったあたりは別の機会に。)

新聞記者を辞めてからの6年間は復興の仕事に注力し、副業でライターをしており、常に書いている状態ではありませんでした。釜援隊が終わってこの2年は、取材し記事を書くという基本動作が再び日常になってきて、少しは精度が上がってきたかなと思うこのごろ。来年も、現場で取材し、その声に耳を傾け、しぐさを目に焼き付け、その価値や意味に光を当てるーーそんな役割を果たせればと思います。

並行して、持続的にやりたい仕事を続けていけるよう目をそらしがちな「経営」という課題とも向き合わねば。(おかげさまでこの2年は好調ですが、中長期の課題として)

実家に帰ったらお正月の支度の手伝いをしつつ、原稿を書きながら年の瀬を迎えます。歳を重ねてきて、人生って常に良い時期ばかりじゃないなって思います。自然災害とか不慮の事故といった大きな禍は云うに及ばず、自分自身というもっとも近しい自然物がコントロールできないこと多々。

だからこそ、楽しいと思えたこの1年に深く感謝!
皆さんにとって次の1年が幸多き年になりますように。

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