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AIと「街道をゆく」 

最近、AI と人間の知性や考える力について考えている……そう言うとちょっとかっこいい(よくないか)が、実際のところ文章を書くことをなりわいとしている以上、考えずにはいられない。よくAI時代には、AIで何でもすぐに調べられるから、それを元に考える力ーーいわゆる思考力が必要だ、とか言われていると思う。

つらつらと考えている中で、最近寝る前に司馬遼太郎の「街道をゆく」(買ったのはだいぶ前のことだったが、通読した記憶はなかった)の文庫本を読んでいる時に、これだ!と思った。

八戸周辺について書いたものだが、司馬遼太郎は「もし江戸時代に南部藩が独自に『牛肉を食う』=肉食を解禁する、という革命を起こしていたら、この土地は全く違った歴史を辿っただろう(めっちゃ豊かになっていたに違いない)」と予想するくだりだ。

前提条件として、

・日本は江戸時代の終わりまでは一般的に幕府によって肉食が禁止されていたこと

・日本は米(稲作)が単なる主な食料源というだけではなく、神事でたびたび用いられる特別なものであること

・江戸時代の南部藩は、やませによる冷害や失政により度々飢饉に襲われ餓死者も多数出ていたこと

・三陸北部は古くからの馬産地で畜産の技術があり、江戸時代も運搬用の牛の産地だったこと

ーーなど、日本の歴史や(米を作るのに適さない)三陸北部が貧しい土地であった時代についての知識が司馬遼太郎の頭の中にあったからこそ、もし南部藩が、日本人が牛を日常的に食べるという変革を起こしていたら、八戸や久慈はとてつもなく、豊かな土地になっていたのではないかと想像しているところにおもしろみがある。(青森県や岩手県の旧南部藩以外の地域の人にとってはあまりおもしろくないかもしれないけれど……)

これを考えた時に、その場で調べることはchatGPT がいくらでもやってくれるようになっても、歴史的文化的な知識が頭の中にあるからこそ、想像できるのだということを改めて感じずにはいられない。

今の世の中、その場で調べれば解決することも多いが、一方で、一人の人間の頭の中になんとなくでも情報が入っているからこそ、生まれてくる仮説とか想像がある。

具体的に言うと、前九年の役と後三年の役が西暦何年の出来事はchat GPT に教えてもらえばいいが、古代から奥州藤原氏のころまでのおおまかな文脈を頭に入れておくからこそ描ける絵があるのではないかということだ。


それが何の意味があるかと考えると、それが知性とか教養というもんじゃないですか? という程度しか言えないし、大した知性もないのにインテリぶっているようで恥ずかしいけれども、想像できるということは他の生物ではなく、人間として生きる醍醐味ではないかと思う。(AIはどうなんだろう)

チャット GPTで何かしらの時間が圧縮できるようになったら、その分の時間は体系的に学ぶことに時間を費やしたいと思う。

※スキマ時間 20min writing としてしばらくは音声入力した文章を簡単に修正編集して投稿してみたいと思います

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