誰が「かわいそう」と決めたのか

ドラマ「星降る夜に」を見ていて、
過去のたくさんの「かわいそう」を思い出した。

途上国で生きる人に、「かわいそう」。
祖父母に育てられる子に、「かわいそう」。
共働きの両親に育つ子に、「かわいそう」。

ベトナムやインドに住んで、海外でたくさんの途上国出身の友人に出会って、彼女・彼らが楽しく生きてることを知ってる。経済先進国である日本よりもよっぽど心が豊かで生活も楽しそう。モノや消費文化からしか幸せを追求できない人生よりも、よっぽど幸せなんじゃないかって思う。私の物差しを押し付けるなら、日本人のほうが、日本で生きるほうがよっぽど「かわいそう」。

祖父母に育てられた知人(私よりも10歳若い)が、教えてくれたこと。
「自分をかわいそうって思ったことなかったんです。小学生になって、まわりにそう言われて気付くまでは。おばあちゃん、おじいちゃんと幸せだったし、たまに両親とも会ってたから。私って『かわいそうな子』なんだって理解するようになったんです。」
腹が立って、悔しくて、悲しくて、彼女に打ち明けられたときの場所、季節感、シーンを一生忘れない。

「子どもが小さいうちは家にいてあげたい。だってかわいそう」
日本人の友人が放った言葉。日本社会でよくある発言だと思う。こうして、母親の自由を奪い、母親像を押し付けて、女性を苦しめる。それなら、共働きが過半数のヨーロッパ人たちはみんなかわいそうなの?価値観を押し付けられずに生きてきた彼女・彼らより、価値観を押し付けられ、社会規範に縛られる日本人のほうがよっぽど「かわいそう」。

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