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靴ひもを結びなおす、優しさ。


amazarashiの秋田ひろむさんが作詞作曲した「僕が死のうと思ったのは」の歌詞にこんな描写があります。

僕が死のうと思ったのは
靴紐が解けたから
結びなおすのは苦手なんだよ
人との繋がりもまた然り

僕が死のうと思ったのは


靴紐がほどけているのに結び直せないのは、自分に関心を向けていない様子の現れです。人との繋がりを結び直す元気もない状態でもあります。

この歌詞を聴いたときに思い出したのは、こちら。

藤原よしこ『キス、絶交、キス』


男の子の足元を見てください。靴紐が解けていますよね? 

2人は、ひょんなことから絶交してしまいます。ずっと口をきいていなかった2人。

だけど、そんな2人がグッと距離が近くなるときがあって、男の子が図書室のイスで寝ていると、女の子が転ばないように靴紐を結んであげるんです。

靴紐を結ぶ行為は、相手に靴紐を踏んで転んでほしくない、ケガをしてほしくない、相手の安全を願う行為です。嫌いだったら靴紐を結びなおすことはしません。それがきっかけで絶交は解消され、お互いに少しずつ歩み寄るのでした。

秋田ひろむさんの歌詞、「僕が死のうと思ったのは
」に戻りますね。

歌詞の最後のほうです。

僕が死のうと思ったのは まだあなたに出会ってなかったから
あなたのような人が生まれた 世界を好きになったよ

僕が死のうと思ったのは

ああ、ここで解けた靴紐を結んでくれる人に出会えたんだなと思いました。

わたしは、解けた靴紐を結ぶ人は、必ずしも恋人や配偶者でなくてもいいと思うんです。

夫が単身赴任になって、娘が不登校になり、精神的に参っているときの話です。仕事のお昼休みに、1人、カフェレストランに入りました。

ランチタイムの忙しい時間帯。店員さんがお水を給仕してくれたのですが、お水を入れたコップをテーブルの奥に置いてから、わたしの手が届きやすい位置に置き直してくれたくれたんです。忙しい時間帯なのに、細やかな気遣いにジーンときたのを覚えています。

あるいは、職場から帰宅するとき、暗やみで自転車のカギが見つからなくて焦っていると、同僚がスマホのライトでカバンをそっと照らしてくれたのも嬉しかったです。

忙しくて疲れがとれない日々。栄養ドリンクを飲んで、ごまかしていたんです。そんなとき、「栄養ドリンクは肝臓に負担がかかるから飲まないで。話なら聴くよ」とママ友が言ってくれました。話を聴いてもうことで、疲れがとれることもあるのですね。現在は、栄養ドリンクはやめています。

あなたのような人が生まれた、世界を好きになったよ

僕が死のうと思ったのは

人の優しさ、温もりは、傷つきやすいときほど沁みます。わたしも、あなたのような人が生まれた世界を少し好きになりました。

愛や恋だけじゃなくていいんです。少しの優しさ、少しの親切が人を救うこともあります。

私も靴紐を結んであげられる側でありたいです。あなたが世界を好きになるくらいに。

#この歌詞が刺さった




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