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Sayaのライフストーリー

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記事一覧

私がこれまでやって良かったと思っていること

私がこれまでやってよかったこと私がこれまでやって良かったと思っていることは「ボランティア」である。 初めて自ら「ボランティア」をやってみたのは、中学生の頃で、市町村で行われていたマラソン大会の「給水係」をやってみた。 なんか、特別感があって楽しいなーという思い出は残っている。 その次に行ったのは高校生の頃の老人ホーム訪問のボランティア。老人ホームの利用者のみなさんと、障子の張り替えをやった覚えが・・・。 ここまでは、本当に学校で募集していたものに対して、なんとなくの感

自由奔放な発明家の祖父。

私の亡き祖父は、本当に自由人だった。世間の「常識」というものは、彼には全く通用しない。彼は、彼の世界で生きていた。 私はそんな祖父があまり好きではなかった。 いつも変なことばかり言っていた。 いつも変わったことばかりやっていた。 「なんで、私のじいちゃんは、こんなにも変なんだろう。」と、物心ついた頃からずっと思っていた。 そんな祖父は、私の人生において強烈な思い出ばかりを残して、この世を去った。 もう祖父が亡くなって、6年以上は経つのだろうか。 時が過ぎるのはとても

イギリスの博士課程進学のために私が決断したこと

今回のnoteの記事は750円の有料記事にしています。 これまで私は、過去1度お試しで100円の記事は出したことがありますが、ブログも含めて200記事以上すべて無償で情報を提供してきました。なので、今回の有料記事は初めての試みに近いものです。 なぜ今回有料記事にしたのかと言いますと、この記事の中身は、過去の私が、何を思い、どのような決断を持って、イギリスの博士課程進学への道のりを歩んでいったのか?ということを本気で綴っているからです。 有料記事にするということは、この記

有料
750

第三言語の勉強をはじめてみた話

これまで私は何度か第三言語の勉強をしたことがあります。 私が勉強したのは、韓国語、シンハラ語、タイ語。 正直、私の中でどれも中途半端だったなぁと感じます。 期間的に一番長く勉強していたのは、韓国語。 現地にどっぷり浸って、短期間ながらにかなり習得できたと思えるのは、シンハラ語。 この三言語の中で、少しお金をかけて勉強したのがタイ語という感じです。 そして、今回、また第三言語を勉強しよう!と思って、私が選んだ言語はタイ語です。それは、幸運にも、週2回タイ人の先生が無料

2022年のたった一つの目標

2022年あけましておめでとうございます。 今年のブログ活動も昨年度に引き続き noteで私の目標を発表することから始めたいと思います。 さて、今年の目標なのですが・・・ だいぶ悩んでしまいました。 目標を立てるということは、目標達成のためにがんばる! という意味合いが含まれると思うんです。 でも、がんばりすぎる気質を持っている私は 「何かを達成する!」という形での目標を立てると きっと頑張ります。 それが故に、きっと自分を追い込みます。 そして、きっと苦しくなって

期待と人を傷つけること

人は、誰かを傷つけると同時に、自分もどこかで傷ついている。 自分の発した言葉、見せた態度。 無意識なことだったとしても、その自分自身の行動に、もしかしたら、相手は傷ついてしまっているのかもしれない。 私は人を傷つけた あなたは、人を傷つけたことがあるだろうか? 「私はある。」 それは、人に期待され続け、歩むべき道を脱線した日のことだった。 そんな私をみて、私に期待をしていた人々は、色々な感情をぶつけ、私を歩むべき道へと戻そうとした。 そこには、多くの悲しみと怒

ブログの奇跡〜人生を変える出会い〜

ブログをはじめて2年半。 ブログを始めたばかりの頃の私は、それから先、私自身が文章を書くことをこれほどまでに愛し、これだけの文章を世に生み出すことができるとは思えなかった。 書いても書いても、溢れ出てくる私の思いに、私はそっと耳を傾け、自分の心の赴くままに、キーボードを打ち続けた。 そんな私の思いが、ネットという世界を通じて、誰かに届けばいいなぁと思っていながら文章を書いている。 それはまるで、出会ったことのない誰かと、文章を通じて、心から対話をしたいと願っている証な

おばあちゃんとシンクロする自分〜私のルーツを求めて〜

私が自分のルーツについて考え始めたのは、いつのころからだろうか。 きっとそれは、私が大人になり自分が他者と異なった生き方・考え方をしているような気がすると意識し始めてからかもしれない。 しかし、自分が他者と異なっているといった意識は、実際のところは幻想で、人間一人一人みんな違って、みんな違った生き方・考え方をしているものだ。 でも、自分らしさの背後には私のルーツに何かしらのヒントが隠されているのではないかとも思える。 私のおばあちゃん 私には今年84歳を迎えるおばあ

初めての1ペソ。〜ストリートチルドレンとの出会い〜

もうすぐ11歳を迎えようとしていた幼い頃の私は、左ハンドルのNissanカローラの後部座席に乗っていた。 狭い車内で、見慣れない外の風景を眺めていた。 道端には椰子の木が立ち並び、バナナが生い茂っていた。外の空気はカラッと晴れていて、ジリジリと太陽が照りつけていた。それは、日本とは異なった、熱帯地域の雰囲気だった。 私を乗せた車は、赤信号で止まるや否や、小さな子供たちにわんさか囲まれた。その子供たちは、先頭の車から一台、一台、ガッチリと貼られた黒い車の窓のフィルムに、顔

1年間のGap Yearの振り返り:「少しは休んでもいいんだよ。」

日本ではあまり聞きなれないGap Yearという言葉。 みなさんは聞いたことがあるだろうか? 海外でGap Yearといえば、学生が大学を卒業した後、社会人になる前の期間をインターンシップや長期の旅行をして過ごすのだが、私は不本意にもこのGap Yearを取得することになってしまった。 そして、その期間をブログと家族と共に過ごすといった時間の使い方をした。 そんな1年は、私の人生を大きく変え、私が大切にすべきことを考える時間ともなった。 ロンドン大学大学院在学中の私

私は教師になりとても悩んでいた。

私は教師になり悩んでいた。 その悩みは、教員として働き始めたその日から、少しずつ膨らんでいった。 しかし、働き始めた当初は、社会人としての日々に慣れないが故に、私は悩んでいるのだと感じていた。だから、まずは仕事に慣れることや、授業をしっかりとできるようになること、子供たちを理解することに努めようと思った。 でも、私の悩みは消えることはなかった。 私は、このモヤモヤとした悩みを誰にも相談できずに心に秘め続けていた。そんな悩みを打ち明けられた場は、私の書いていた日記のみで

マヤ暦を見てもらった日

私とはどのような人間なんだろう? 意外と、自分のことは、自分が思うほど分からないことが多い。 他者については、「あの人って、こういうところあるよねー」なんて、良いところも、悪いところも気が付くのに、なぜか、自分のことを振り返ると、他者を見る視点とは異なり上手に表現できないものなのである。 占いとの出会い 私は10代の後半から、自分とは何者で、なんのためにこの世に生まれ、なんでこんなにも逆境に立たされることが多く、頑張り続ける性格になってしまったのだろうか・・・と、一人

学び続けたい女性としての私のキャリアとライフプラン

Sayaについて本記事の筆者である私、Sayaは30代の女性です。これまで小中学校一貫校で教諭として勤務した後、言語学校で日本語の教師として働きました。 そして私は就職前に取得した日本の修士号だけでは物足りなく、新たにイギリスのUniversity College London(UCL)で修士号を取得いたしました。 さて、学びに貪欲な私ですが、30代といえば女性としてのキャリアやライフプランも考えなければいけない年代でもあります。 そんな私が、今何を思い、考え、日々過ご

先生に受けた影響:私は先生になりたくなかった。

思い出の先生という存在こんにちは。Sayaです。 私は小中学校の教員をしていましたが、元々は理系でした。大学時代に、色々な経験をしながら学校の先生になってみようかな?と思い、大学院で文転し学校の先生になったわけです。 きっと、学校の先生を目指している方々の中には「思い出の先生」という、とても素敵な先生との出会いがあったと思いますが、私が思い出される一番最初の先生は、残念ながら温かいイメージではなく、とても残念な高校の先生です。 彼女との出来事は、今でも私の心に小骨を引っ