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伏見の鬼 13 ♯君に届かない

 宵闇が深くなった。
 総司は階下の一室に座していた。
 二階では娼妓の嬌声や喘ぎが漏れてきて、己が獣を抑えきれなくなる。
 膳には酒の癇が添えられてはいたが、手を付けずにいる。小鉢物のつまみだけを箸ですくいながら首尾を待っていた。
 階上から小刻みな足音が降りてきて、そのまますたすたと襖の前に立つ気配がする。それに、応と声を掛けた。
「で、首尾は如何であったか」
「薄雲さまから、是非ともお上がりくださいとのことでっせ」
 禿かむろの、稚気めいてかつ朴訥ぼくとつとした声が掛かる。
 総司は身を起こして、禿の案内で階上へと上がる。
 手習い中の禿であれ、薄雲姉と同じ仕立てであろう菖蒲模様の小袖に、紺に駒柄の仕掛けを羽織っている。結い上げた髪の背丈が、彼の胸元にも届きはしないが、いずれは義姉に続いてあのような生業に身を捧げていくのだ。
 すすり鳴くような声が大きくなった。
 ふたりの足音を聞きつけて、殊更に煽情的な声でさえずっておる、と彼は思った。魅了させる声が、妓楼の持つ刀なのでろうな、ともおもんばかった。
 禿が両膝をついて、お呼びしましたと声を掛け、襖を開けた。
 その襖の隙間からは、濃密な花の香が溢れ出てきた。

 総司は入室をせずに襖にもたれていた。
 男の頑なな空気を察して、禿は一礼して下がる。
「何だえ、お入りな。あちきは取って食べはしませんえ」
 語尾に色気が混じっていた。
「ここで構わぬ。首尾のみ賜ればよし。何分にも火急なことだ」
「お兄さん、大門屋ではなく、生駒屋の花火、のいいひとだってね」
 既に知られている。
 成程、五条色街では隠し事は出来ぬ相談らしい。
「あんな新造さんがお好みかえ。手練れよりも初心なのが好きな口か」と独り言のように言う。それを馬耳東風に聞き流していた。
「当家の格子の娘たちを、何人でもよかれと楼主さまが仰っても、振ったそうぢゃない。そんなに花火に執心かえ」
 確かに男扱いについては、目前の娼妓が手練れているだろう。しかし彼の欲するところはそこではない。
「ま。いいわいな。操を立てた男に、押売りをするのも粋ではないわえ。あんじょう上手く行きましてえ。先の御方な、あがなうたばかりの長刀が夜泣きするんじゃと云うてましたわ。今晩にでも向かう云うてましたえ」
 総司は初めてこの大夫に好感が持てた。
かたじけない、それで舟の件、高瀬舟についても教えたか」
「ええ、ええ。お話頂いた刻限に通るとまで」
「薄雲とやら、忝し。いずれ手合わせて貰う」
「その節では、あちきの方が振るかもしませんえ」と含み笑いで微笑んでいる女の愛嬌が、拗ねた横顔が却って後ろ髪を引かせていた。
「一期一会じゃ。恨み言は言わぬ」
 総司は襖を閉めて、その場を立ち去った。
 階下に降りて、喜八を呼びに行かせる。この五条色街の長屋に住んでいるのを薄雲付きの禿から聞いていた。
 程なくして喜八が寝ぼけ眼で書けてきた。
「すまんな、この夜更けに」
「いえ、滅相もございやせん。して火急の用向きとか」
「苦労である、しばしこの場を任せる」
 へっ、と喜八が目を丸くする。
「先生はどちらに行きなさる」
「儂か・・伏見の、鬼退治よ」

※注 新造:新米の娼妓 禿:娼妓の世話をする12歳までの少女

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