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長崎異聞 23

 会見は縁側で始まった。
 慧と光る眼光の鋭さたるや、槍衾やりぶすまの如くであった。
 その双眸に射竦いすくめられた御仁のお歴々が偲ばれる。
 大浦お慶は、背中が幾分は曲がってはいたが、気力が満ち満ちているのが判る。かつての豪商にしては手狭な家で、隣近所の煮炊きの匂いが立ち篭めるような下町にあった。
 古びた家は瓦葺きでもなく藁屋根を被っている。その濡れ縁が当家での特等席のようだ。勝手を知る村田蔵六は、玄関で大村益次郎名で名乗ると、そのまま敷地に踏み入って勝手に縁側に腰を掛けた。
「あらあら兵部省の御大将が、まるで駄々っ子のよう」
 とお慶女子は、障子を開けて濡れ縁に出て来た。彼の訪問はそれが通例のようで、含み笑いを浮かべている。
「陽気も佳い。皐月晴れじゃ」
「いずれ雨が滴ります」
「時はいま 天の滴る 皐月かな、とは明智惟任殿の句じゃな。剣呑、剣呑。儂はそこまで企図してはおらぬ」
「それはどうだか。。してこちらのお連れ様は?」
「こちらは通詞のユーリア殿、これは儂らの用心棒よ」
 明らかに待遇に差はあるが、醍醐は押し黙って黙礼をした。
「まあ剣呑な事を為さってるのはどちら様で」
「まあ、いずれ儂の婿取り候補よ」の言に、きっと彼女は蔵六に視線を飛ばした。
「それはそれは、では祝いの盃代りをば」
 そうして大浦お慶は席を立った。
 障子の向こうには、見事な山水画の描かれた衝立がある。その奥の調度品は一見して高価過ぎて検討も付かぬ逸品であった。
 彼女は、木製箱に把手のついた器具を出してきて、それに煎り大豆のようなものを入れてごりごりと摺っている。薬の挽臼のような音がしていた。芳醇な何とも言えぬ甘い香りが宙を漂うと、果たしてユーリアの瞳がじわりと濡れ始めている。
「其方、いかがなされた?」
「いえ、余りによい香りなので故郷を思い出しました」
 成る程これは瑞西スイスの産物なのであろうか。
 再びお慶は中座して奥に入る。何やら用意をしている気配がある。
「蔵六殿の言には中身がござらぬ。拙者は承知などしてはおらぬ」
 先程の鋭い視線が、逆に一文字に醍醐に振りかぶってきた。北辰一刀流の剛刀の一閃に近い。
「貴方の言には、大事な事が漏れている気がします。あの女性は一体どういう経緯でご昵懇じっこんなのです?」
 怯んだ醍醐の背後に、陶器の擦り合う細い音がしてきた。
 お揃いの皿に乗せられた、熟柿のような紅いカップが用意されている。白地に朱地紋が細かく編まれ、遠目には日輪の如き輝きを放っている。それに漆黒の液体が並々と注がれており、甘味の増した湯気が蕩々と立っていた。
 ユーリアはその湯気に見惚れてか、濡れ縁へ爪先を向けた。
 女心の分からぬ醍醐は、腰の同田貫を帯の奥へ押し込んだ。
 
 


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