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離婚式 39 I 手のひらの恋

 不思議だと、思った。
 脳内に複数の人格が共存してる。
 怯える神崎はかつて愛していた。
 困惑して、鬱に陥ったのは寧々。
 それらの人格を呑み込んだ補助脳がこの身体にある。彼らの意識はボクが統括し、牛耳っている。そしてこの肉体は、男性の身体に女性を接ぎ木した造り物だ。どちらから見ても蝙蝠こうもりのような歪な距離感にある。
 高校生を迎えたときは男子であり、同級生に告白をされたこともあった。稚拙な恋は瑞々しいだけではなかった。手のひらに収まるような淡い恋は、欲望に突き動かされて、大人の階段を性急に昇ってしまう。
 なぜボクは両親の居ない日に、同級生の彼女を自宅に向かい入れたのだろう。なぜ「今日は親、居ないんだ」と口添えたのだろう。そして背後から抱き締めて、初めてその胸を揉んでみたのだろう。
 キスはとっくに慣れていた。
 そうして彼女の上着を剥がして、震える指でホックを外す。初めて乳房を見たときに、なぜ自分にはないのかという違和感さえ覚えた。

 社会に出てからも違和感は残り続けた。
 憧憬した乳房をつくり、忌避した陰茎を落とし、さらに渇望した造膣手術をおこなった。卵胞ホルモンの注射でバランスが狂い、重い頭痛を抱えながら借金を返済していた。
 働けど働けど金が足らず、充分な生活は得られない。
 それで得たのが離婚保険会社の調査員の仕事だった。
 世間からは蔑みを持って、白眼視されている生業だ。
 この社会では婚姻には保険金が必要だ。
 入籍の時点で夫婦は貴金属や希少金属を保険会社にdepositする。夫婦に充分な経済力がない場合には親がその貴金属を負担する。
 しかしながら離婚は頻発する。
 この社会は夫婦別姓も、同性婚も認められた世界だ。中学生みたいな些細な恋愛観の掛け違いで破綻し、貴金属は没収されてしまう。
 きちんと離婚式を開いて、その貴金属を坩堝るつぼにかけて地金に戻すような残酷な式もあるくらいだ。
 離婚の背後に不貞や不倫があれば、depositでは足らずに再徴収される。また配偶者に裏切られた相手には、高額の保険金が支払われる。離婚貴族という言葉が辞書に載るくらいだ。
 だからこそ離婚理由の周辺を嗅ぎ回る毒蛇が必要になってる。
 つまりボクらは、世間の侮蔑と憎しみを両肩に背負っている。

 ゲートが開いた。
 網膜と静脈流であっけなく。
 大蔵省の持つ組織、θシータ。その拠点のひとつで代官山の瀟洒なビルにあった。それは神崎の所属しているブランチのひとつだった。
 もちろん個人認証が不可欠だけど。
 補助脳から神崎の意識で起動すると、顔認証、網膜、静脈流まで彼の電子認証が行われる。あのウィルスの影響で、全てのゲートが非接触認証になった。指紋ひとつで別人と見破られるのに。
 

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