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長崎異聞 32

 門司とは不遇な港である。
 今やその港は異国となる。
 凡そ四半世紀は昔のことである。
 つまりは英吉利には香港ありて、仏蘭西には門司ありて、と西欧では見られている。

 視界が、絶え間なくうねる。
 目元に紺碧の海面が迫るかのようである。
 船体が持ち上げられ外輪が空転したのか。
 耳に切込む轟音が、暫し途切れたようだ。
「到着まではあと一両日はかかる。まあ昔話を教授してやろう」と黴臭い船室で、村田蔵六が語り始めた。
 橘醍醐は、意外にも舟に強かった。
 逆にユーリアは自室に伏せている。
 玄界灘はインド洋よりも非道いと、船酔いで蒼白な顔で訴えている。
 大浦お慶の高雄丸は、個人所有とはいえ元々は武装をしていた軍船である。
 英吉利で建造された旧式の外輪船で、兵員と兵装を運ぶ武装運搬船である。
 所属は共和国海軍から、今上天皇のお召艦の時期すらある。主に長崎より李氏朝鮮まで、大使を派遣する目的にも使われた。老朽化とともに測量船となり、さらに大修理を経て大浦お慶が引き取った。
 艦齢としてかなりとうが立っており、最早、国際航路を運用することなどはできぬ。
 目的地は門司ではあるが、そこは仏蘭西の租借地であり、日本の領土には属さない。謂わば生身の肉体に刺さっている釘である。いずれその毒は全身に廻りかねぬ。

 儂はな、その門司を日本に取り戻す。
 
 外務大臣へ推挙された陸奥宗光が語った。
「それなくば、我が国が英吉利と手を結ぶことなどあり得ぬ。たとえ長州の闕所けっしょ地であろうと、あの港を渡したのは慶喜うえ様の落ち度であった」※闕所(所領没収)
 おぬしも幕臣であったろうに、と醍醐の肚に炎がつく。
 蔵六は他人の胸の内を斟酌しない。いやさ、それを察する神経を持たぬらしい。自らの数理が、同じ目盛りで相手にも刻まれていると。稚児に類する身勝手な物差しをお持ちであるらしい。
 この御仁、いずれ味方から討たれるな、と醍醐は思う。
 
 兵部省大村益次郎、通名村田蔵六の授業はこうである。
 事は安政五年(1858)の日米修好通商条約である。
 この折に領事裁判権と関税協約が締結された。
 まず領事裁判権においては、異国人は居留地のみであるので、当該国法律の適用を認めた。つまりは大使館権益を居留地限定に拡大したのに過ぎぬ。
 しかし関税においては、列強の強硬な折衝を幕臣目付岩瀬忠震が身をもって食い止め、亜米利加領事ハリスの主張を撥ね除けた。
 ハリスは、幕府に対し関税五分(5%)を主張した。それは列強が植民地に課した歩合である。それにより安価な製品が海外から雪崩れ混み、当該地の国内経世は崩壊する。かの印度ですら英国の靴先を舐めている。
 しかるに岩瀬は米国内の国内不和を勘づいており、それを二割二分(22%)と譲歩させた。それは欧米間での歩合に近く、対等な談判に終始した。
 茹でた鬼児のような顔色のハリスが、彼を然るべき人物なりと評したらしい。
「その力関係を壊したのが、長州よ。わが生国ではあるがの」
 文久三年弥生(3月)、孝明天皇が賀茂上下神社に行幸を行い、幕府に対して攘夷を下命する。さらに水無月(6月)長州藩久坂玄瑞の膝下のもと、米、仏艦船に最初の砲火が発せられる。
 翌年は年号を改め、元治元年文月(7月)、英仏蘭米の四ヵ国艦隊が襲来し苛烈な砲撃のもと長州彦島が占拠さるる。
「その賠償金の担保として、門司を盗まれたのよ」

※村田蔵六の授業のうち、関税自主権の喪失の経緯は全て史実です。門司の租借は含まれません。

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