大理の曙光| 朝焼け
もう40年以上前になる。
改革開放を始めたばかりの、中華人民共和国を旅した。
往時は未だに人民服ばかりの街頭で、その生活は共産圏の縮図のように、傍目にも厳しいものだった。
とにかく生活インフラが整備されておらず、電力事情もよくない。水は必ず煮沸していないと飲んではいけない。地域によってはB型肝炎の感染予防に、加熱されたものしか食してはいけない。
さらに現地で衣服を求めるのは困難だった。ビーチサンダルを探すのにも3週間を必要とした。
特に厠所問題は、先進国から見て極めて深刻なものがあった。
大都市圏の上海ですら、馬桶という木製バケツで用を足して、共同厠所にぶちまけてすましていた。
当然のことで都会でもトイレには個室の仕切りもない。
地方にいくと一本の共同溝が掘られており、それを全員で跨いで使用する。
ガードレールもない急坂の峠道を飛ばすボロボロのバスに至っては、「厠所」と書いた紙片をもっていくと往来でもバスを停め、「そこでしろ」と路傍に向かって運転手は顎をしゃくる。女性のバックパッカーでさえ羞恥に悶えながらも、それにも応ずる他はない。
私は昆明から、そんなバスを乗り継いで辺境の地に辿り着いた。
大理という国家がかつてあり、白族という少数民族が生活していた。
そこが改革開放で認められた境界であり、そこから麗江へは香港人しか進めない。しかしながら意外にも、欧米人がその町には溢れていた。
実にそこはエキゾチックな色合いの噴流があった。
噂に違わず、美しい女性たちが、民族衣装で生活を営んでいる。
大理は2000mを超える高地にあり、森林限界点はすぐそこにある。
紫外線は太く地面に注ぎ、白雲が風に舞う姿が、手の届くほどの近さに見えた。その紫外線に対抗するためか、白族は昔ながらの技法で鮮やかに糸を染め上げている。
新月祭という月2回の定期市では、それらの品物を持ち合っては物々交換か貨幣でも流通ができていた。
ある眠りの浅い朝、早朝から私は散歩に出かけた。
Walkmanでピンクフロイドのアルバムを聴きながら、薄暗い洱海の畔を歩いていた。程なく曙光が、高山の雪解け水を集めている洱海を紫に染め上げ始めた。湖面は穏やかで、天の姿を鏡写しにしている。
そこは古来からラマ教を伝えている。
湖畔からもその崇聖三塔寺が認められる。
ピンクフロイドの旋律に耳を傾けながら、その光景が殊更、神々しいものに思えた。
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