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離婚式 35

 エレックカーに並んで座っている。
 腕をりょうは絡めているが、隙間に金属製の何かを突きつけている。
 もう抵抗するだけの自尊心は砕かれている。逍遥と、唯々諾々と、影のようにつき従うことしかできない。
 あの、焼けた串で局部を撫でられた火傷が、今も疼痛と疼きを訴えている。それが続く限り叛意など持てるものではない。
 なぜこの女に心を許していたのか。
 彼女の正体はなんだろう。
 大蔵省からの査察官か、あるいは敵性勢力からの走狗か。
 θの局員に対しても容赦がないとすれば、その背後に大きな組織があるか、無軌道な暴走をしているかのどちらかだ。
 後者でないことを祈るばかりだ。

 その部屋に入ると、異臭がした。
 吐瀉物と、排泄物の臭いだった。
 りょうは澄ました顔で、その部屋に静脈ロックを解いて入っていく。
 その場末のホテルは、都会の奥底に禍々しい妖気を放っているようであった。背中を彼女に小突かれなければ足を向けることはない。
 クィーンサイズのベッドの上に全裸の女性が横臥している。股間から小水を漏らし、シーツを汚している。
 そして吐瀉物の臭いは浴室の方から漂うが、そこへ向かうのは彼女が拒絶した。
「・・・この娘、知ってる?貴方の・・θの子?」
「いや、知らない。おれたちはone and onlyで動いている。隣の部署なんて存在しない。agentはそれぞれが孤りだ」
「お互いに探り合うこともあるわけね」
「そうだな。そのニアミスを避けるためにmessageが入る」
 タブレットを開いた。
 指紋だけではなく、光彩、静脈流までも診断して起動をする。他のPCに影響を及ぼさないようにsafe mode にしている。これで周辺のPCのHDDを狂わせることはない。その代わり能力は制御される。
「何も来ていない。なあ、この子には息はあるのか。どう見ても死んでいるようにしか見えない」
「生命的にはね。でもこの娘、補助脳をもっているみたいなの。そのタブレットなら強制起動できるんじゃない?」
「そんな高度な脳手術を受けているのか、それは穏やかじゃない。仮にもθは公的機関だ」
「その公的機関が薄汚く、他人の家の台所も寝室も覗いているのよ」
 全くそうだ。
 我々の機関に、資産情報や婚姻状態を隠しおおせない個人は存在しない。
「なあ、本当にするのか。国家への叛逆になるぞ」
「何よ、怖いの?」
 今はきみの方が恐いという軽口を呑み込んだ。生殺与奪権は今や彼女にある。そこまで怖気ている。そして職務上、もう規範を逸脱している実感もある。
「おれのroot権限で開いてみる。裏modeがあるのは探ってある。それでこの子の補助脳が再起動するかもしれない」
 タブレットにroot権限のpasswordを打ち込んだ。
 再起動を行うために画面が漆黒に沈む。
 背中で彼女の胸が潰れている。首を掻き抱かれているが、絞首刑を受ける気分だった。
 

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