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伏見の鬼 10

 現金なものだ。
 かの黒牛を尻目に、へぇへぇと楼主は低姿勢になり、掌を揉み手しつつ階上へ案内した。
 作りは総司の馴染みの店とは違う。
 階段も緩くゆったりとして、埃ひとつなく磨かれていた。
 四枚引きの襖においても縁は黒檀であろうか、また引手も七宝焼きらしく、白地に紅葉が描かれていた。
 鼻息荒く、楼主は声を掛けた。
「・・おいおい、当家随一のお客様や。ご挨拶をしいや」
 襖の向こうで衣擦れの音がする。
 それが幾重にも繋がり、やがて沈黙した。それを見計らい、楼主は勿体もったいぶった手付きで襖を開いた。
 そこには錦糸を重層に織り込んだ花魁打掛を纏う、美麗な人影がある。
 珊瑚の紅いかんざしが、紅玉の輝く金簪が、其々の艶やかな黒髪を飾っていた。畳の上に紅毛氈もうせんが敷かれており、ひとりずつ六人もの娼妓が平伏していた。
「一晩二両、それで・・・今夜の御付きをどうどすか。ひとりでもふたりでもよろしおす」
 総司の胸中がずくりと痛む。
「ほな、面をあげてんしゃい」
 一斉に娼妓らが美貌をあげた。
 まだ夜がけの同衾から白粉を落としていないのだろう。紅が滲んでいる女もいた。然しながら、彼女たちは彼の馴染みの女たちよりも、遥かに整った顔立ちをしていた。
 楼主の左肩を掴んだ。
 容赦なく握りしめた。
 ひっという悲鳴があがった。
「用心棒がよ、仕事の最中に自前の刀を使うわけにゃあ、いかねぇだろ」
 そう耳元で囁いた。
「女は無用だ。金はそれでいい。ただあの牛みたいな男な。あれを昼番に残しておけよ」
 ぽんと肩を叩いて、総司は階段を下りたのだった。
 
 壬生屯所に戻ってきた。
 もう朝稽古の時間はとうに過ぎている。
 大門屋との口約束は出来ていた。今晩から、とっぷりと夜の帳が降りた亥四っつから泊まりである。
 屯所は、この地の富農である八木家の別宅である。元来が私邸で、そこに壬生浪士隊という看板だけが掛かっている。墨書したのは山師の清河八郎であるが、既に関東へ下っていた。
 その境内から楽しそうな女の声がしていた。
 それだけで石井秩が訪問しているのを知った。総司は自室には戻らず、そのまま建物を縫って奥庭に向かった。
 庭には桜が二本立っており、中央には灯篭がある。
 その脇には傘屋根掛けの井戸がある。
 角を曲がった瞬間に、一歩を引いた。
 歳三が境内にて、お京を抱きあげて遊ばせているのを認めた。お京が届かぬ桜の枝まで高く、高く掲げている。
 幼な子は桜花を不思議そうに眺めては、小さな指で花弁を触る。加減を知らぬようで、その枝から花弁が吹雪の如く宙に流れた。嬉しそうに嬌声が湧き上がる。
 それを歳三兄ぃは静かに微笑んで眺めている。試衛館の稽古ではついぞ見せない表情だった。怜悧で、剛毅な、削ぎ落された頬が緩むのは、珍しい。
 その傍には秩が寄り添っていた。格子柄の小袖に竹皮の包みを下げていた。総司がかかっている壬生村の医者の娘だ。
 歳三兄ぃの横顔を見惚れてか、秩の瞳が潤んでいるようにも見える。
 むらむらと妬心が持ちあがる。
 
※慶応三年、石井秩という女性は病死して光縁寺に埋葬されます。過去帳には沖田縁者とされて、娘の京は坂井氏が養女とします。
 

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