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ウルトラ

近所のホームセンターへ買い物に出かけた。
広い店内のある一画で、家庭用の物置が売られていた。ドラえもんで、のび太の家の庭に置いてあるような、いわゆる「ファミリー物置」と呼ばれるタイプのものだ。

ファミリー物置、という名称自体をそこではじめて知ったのだが、そのファミリー物置の商品名が、とてもよかった。

ダシーレ

いい。好きだ。大好き。
言わずもがな、物を出し入れするから「ダシーレ」なのだろうが、なんと親しみのある、それでいて明快、且つとぼけた名前だろうか。

「お母さんあれどこやったっけ?」「ダシーレの中じゃない?」「あー、あったあった!」なんていう、ほのぼのダシーレ一家のある日の会話が今にも聞こえてきそうである。

ダシーレは正式な商品名だが、そういえばこんな感じの家庭内だけで通じる、おかしな共通名称、共通言語ってあったよなあと、ふと思い出した。

わたしの実家では、取り皿のことを、「ウルトラ」と呼んでいた。

由来は単純で、わたしたち兄弟が幼い頃によく使っていた取り皿が、ウルトラマンのイラストが描かれたものだったからである。
「ウルトラマンの取り皿」、略して「ウルトラ」。

お鍋のときなどは、それはもうこのウルトラが大活躍である。

「もうすぐ出来るからウルトラ出してー」
「あれ?お父さんのウルトラが足りないわ」
「ねーえーそれオレのウルトラー!」
「お母ーさーん、ウルトラふたつ足りなーい」

大活躍である。
一瞬めちゃくちゃやばいクスリのようにも聞こえるが、ご安心いただきたい。ウルトラでバキバキにキマッた家族とかではない。ないです。

そしてこの「ウルトラ」という名称は、ウルトラマンの取り皿だけではなく、我が家の取り皿全般に適用されることになった。
単純に呼び名を分けるのがめんどくさかったのと、語感として「トリザラ」と似ていたのも大きかった気がする。

記憶では、わたしが幼稚園の頃からウルトラ、およびウルトラという呼称を使用していた覚えがあり、就職して家を出る年齢までも、ウルトラはウルトラとして、我が家の食卓を元気に支えてくれていた。

その後、何度も実家に帰省したが、その都度、ウルトラの生存を確認している。というより、この2023年もバリバリ現役でウルトラはウルトラしている。
今年の正月の帰省でも、おせちの取り皿としてウルトラは元気に出動していた。父母の、「ウルトラ出してー」「はいウルトラ」というウルトラコミュニケーションももちろん健在であった。ウルトラの父と母である。

この春、父の退職金の一部を使って、実家の台所まわりをリフォームするらしい。備え付けの食器棚から何から結構な大改造をするようで、食器類の整理が大変だと母がぼやいていた。

このリフォームで、ウルトラは生き残るだろうか。
ウルトラがいなくなっても、ウルトラという文化は残り続けるだろうか。

多分、生き残ると思う。
かれこれ30年選手であるウルトラとのお別れは、なんとなくまだ先のような気がしているし、たとえさよならをしても、そのうちちゃっかり「帰ってきそう」感もある。

ぼくらのウルトラの雄姿を確認しに、近々また実家に顔を出してみようと思う。

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