見出し画像

おもいでは新時代

お散歩中の保育園児たちが、Adoの「新時代」を歌っていた。

保育士さんと手を繋ぎ、「変え~て~しまえばァ~~~!!!」のファルセットまで忠実に熱唱しながら、陽だまりの中をよちよち行進していた。

新時代だ。
これぞまさに新時代の到来なり!と思った。

この令和の世にこどもたちが散歩中に歌うのは、となりのトトロの「さんぽ」とかではないのだ。
「さんぽ」にファルセットで歌い上げる箇所はない。あるとしたら「わた~しは~元気ィ~~~!!!」のところだと思う。

そういえば以前にも、星野源の「恋」を歌いながら公園のシーソーで遊ぶこどもたちを見かけたことがある。そのときも「し、新時代だ~~~!!!」とひとりで勝手に大騒ぎした記憶がある。

私にとっては「時代が…!時代が進んでおる…!!」という感覚だったが、今ナウでこどもの彼・彼女らにとってこれらの曲たちは、最も身近で、最先端な、自分たちの歩幅と等しい曲たちなのではないかと思う。

私が小学四年生のとき、運動会の組体操の音楽が、SMAPの「Fly」だったことがある。

サビの「♪ 君は今すぐ翔び立てるのさ 傷んだ愛を迎えに来たんだ ♪」に合わせて、サボテンや補助倒立を決めたりしていた。

どういう、どういう状態???
今なら関係性考察オタクがハアハア言いだしそうな匂わせである。欲張りセットがすごい。

当時の私は「今流行っている曲で組体操をやるんすね」以上の感情はとくに持たず、さほど違和感なく受け入れていたが、親世代は内心絶対に「し、新時代だ~~~!!!」と、その選曲の新しさに確実に“やられて”いたはずだ。

組体操の武骨で泥臭いイメージと、Flyのアダルトでシニカルな雰囲気が見事にハマったマリアージュは、大人たちの心のやらかい場所をしめつけてしまったのか、この年の組体操は保護者界隈でそこそこ評判になっていた。

宇多田ヒカルが「Automatic」で鮮烈なデビューを飾ったとき、10歳だった私はその衝撃を受けつつも、はちゃめちゃに最先端なこの曲も、自分が大人になる頃には「懐かしい」という気持ちと一緒に思い出す曲に、懐メロという大きな箱に納まる形に落ち着くのだろうか、とぼんやり思っていたのを、今でもよく覚えている。
こんなに新しくて、こんなに「今」なのに。

そんな未来、あの頃は全然想像できなかったが、実際には、全然、そうなった。
超懐かしいし、めっちゃ「なち~~~~~!!!」ってなる。

時間は常に一方通行であり、今この瞬間、この一秒一秒の自分が、自分史上いちばん若い、という感覚を、最近よく意識するようになった。

あのときは間違いなく最新だったものが、最新だったからこそ、思い出という名前を与えられて、ひとつひとつ、ひとりひとりの過去になっていく。

こうした思い出の中の曲たちは、いつでもそのときの最新で、最高で、追いついては過ぎ去る、新時代なんだと思う。
そしてその新時代を、私は今日も生きているし、今日まで生きてきた、のだとも思う。

「平成の名曲ベスト100」的な歌番組で流れる「上海ハニー」を聴きながら、「なち~~~~!!!」と妻とふたり夕飯の酢豚をほおばる今日も、またとない、たしかな新時代の一日だ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?