◇16. 難民としてデンマークへきた子どもたちとの出会い
休み時間になると、アミーナはよく図書館へやってきてはわたしにあれこれ話してくれるようになった。
シリア出身のアミーナは、街のはずれにある小さなアパートに両親と弟、兄夫婦ととともに暮らしている。兄は家族から数年遅れでデンマークに辿りついたらしい。地中海をゴムボートで渡ってきた彼は、数年後にシリアで結婚していた妻を呼び寄せ、両親の家で暮らして最近子どもが生まれたそうだ。
「昨日、シリアの友だちと電話で話したんだ。久しぶりにたくさん話してすごく楽しかったよ」
いつものようにおしゃべり好きなアミーナが、今日もにこにこと話し始めた。
「シリアの友だちって、今どんな暮らしをしてるの?」
好奇心から思わずそう尋ねるわたしの顔を見て、アミーナは少し声を潜めて言った。
「シリアは内戦中だから大変だって思うでしょ。うん、たしかに今でも爆弾が落とされているところもあるし、生活が大変な人もいるんだけど、24時間いつもそうだってことではなくて。想像できないかもしれないけど、普通の暮らしができている部分もあるっていうか。んー、説明するのが難しいんだけど。友だちはもうすぐシリアの大学に入学する子もいるし、結婚する子もいる。
こんなふうに言うと、じゃ、もう安全なんだからシリアに帰ればって言われちゃうから言いにくいんだけど。普通の生活に戻ったわけじゃない。でも24時間ずっと爆弾が落ちてるわけでもなくて。わかる?わかんないよね」
簡単にわかるよとは言えない。わたしには想像もつかない日常生活があるということぐらいしかわからない。
「もうすぐ結婚するって、でもまだ16歳じゃない?」
そこもやっぱり気になるので聞き返してみる。するとアミーナは、
「うん。結婚っていっても親同士が連れてきて決まるだけ。ここみたいに自分で結婚相手を選ぶわけではないから。シリアにいたときはそんなもんだって思ってたし、友だちもそれがここでは普通の生き方だよって言ってる。そうなの、シリアにいたらそれもありかなって思う。でももうムリ、そういうの」
「ムリなんだ、やっぱり」
「ムリだよー、だってデンマークで全然違う価値観で暮らさなきゃいけなかったんだもん。ここの生活に慣れたらここの普通に合わせて考えるじゃん?それにあたし、将来何をしたいかもう決めたんだ。美容師とメイクアップアーティストになりたい。だから卒業したらそっちに進みたいの。将来はすぐ結婚して子どもを産むんじゃなくて、まずは一人暮らしがしたい」
未来を想像しながら嬉しそうに話すアミーナを見て、良かったね、やりたいことが決まるって嬉しいよねと思う。
「でも親はあと数年後にはまたシリアに戻ろうかって話をしてて。あたしたちのビザは永住ビザじゃないし、シリアの状況が変われば難民ビザが更新されないこともある。そんな人よく見るでしょ?テレビで。そうなったらあたしも帰らなきゃならない。でも帰りたくない、だってここでサバイブするためにこれまでデンマーク語もがんばって、学校もがんばって。やっとここの普通っていわれる生活とか、自分のやりたいことがうまく見つかったのに、シリアに帰ってやり直すとか、考えるだけでやる気がなくなっちゃう」
アミーナの話を聴いていて、想像力を働かせてはみるけれど、自分はほんとにどこまで彼女の立場がわかっているだろうと思うと何も言えなくなってしまう。ここで暮らすと決めたなら適応できるようにただ前を向いて必死に歩みを進めていく、その覚悟やきつさはわかる。でもまだ戦禍の残る祖国へ帰るか帰らないか、彼女自身には決められない。ビザという形でこの国が一方的に決めるのか、あるいは親が決めるか。いずれにせよ、彼女はそれに従うだけ。ここへ来たのも、残るか残らないかも自分の選択ではない。数年後、自分がどこで生きているのか、何ができるのか、その夢さえ一瞬にして消え去るかもしれない。そんな状態で、それでも毎日を生きなければならない。
休み時間には、ソマリア人のアダルもよく顔を見せに来ていた。すらりと背が高く、歳はアミーナと同じぐらいだったが、言葉の問題もあったからだろう、学年を落として義務教育校であるこの学校へ来ていた。とても大人しく礼儀正しいアダルはいつも一人で図書館の隅に座り、分厚い本をひざの上に立てて、それをのぞき込むように真剣に何かを読んでいる。でもその分厚い本の中に、実は別の小さな本が隠されていることをわたしは知っていた。低学年の子どもたちが読む、薄い読み方練習用の本だ。まだデンマーク語に自信がないアダルは、低中学年の子どもが読むやさしい本を休み時間に読みながら言葉を学んでいた。それを図書館で周りの子たちに気づかれたくなかったのだろう。その気持ちを想像すると、がんばって!と応援したくなる気持ちと、休み時間でさえ隠れてがんばるアダルの必死な努力に涙が出そうになる。
でもそんなアダルの努力は報われなかった。
ある日突然、アダルは学校へ来なくなった。気になって担任の先生に様子を聞いてみると、アダルとその家族は難民としての滞在ビザが更新されず祖国へ送還されることになり、家族全員で失踪したという。あんなに一生懸命がんばっていたのに。この国でまた言葉をいちから習い始め、学校で学んで友だちを作って、将来を夢見たいと思っていただろうに。
「それでご家族はどうなったんですか?!」
びっくりしてそうたずねるわたしに、担任の先生は、
「わからない。突然いなくなってしまったらしいから、もう学校にできることはない」と冷たく答えた。
チェスの子どもたちのことも気になっていた。
その中の一人、12歳の女の子ローラは、デンマーク語の上達が早く、日に日に流暢になっていた。難民出身の子どもたちがこの学校へ入学すると、しばらくのあいだはデンマーク語を毎日集中的に学ぶクラスに振り分けられる。そのクラスの先生がよく図書館へ子どもたちを連れてきていたこと、またローラが4年生のクラスに転入した後もよく図書館を利用していたこともあり、彼女の変化を眩しく見守っていた。
積極的なローラではあったけれど、0年生からすでに5年間クラス替えもなく続いている集団のなかで仲良しのクラスメートを見つけるのは難しかったのかもしれない。図書館ではよくひとりで過ごしている姿も目にした。ある時、ローラはデンマーク語でなにか間違ったことを言ってしまい、それをクラスメートから少しばかにされたように笑われていた。それに対し、「そんなふうに笑うのはやめて、まちがえただけじゃない!」と気丈に振る舞うローラ。ほんとは泣きたいぐらい腹が立ったんじゃないだろうかと思いながら、気丈に振る舞うローラに心の中で拍手とハグを送った。
そんなローラは、休み時間にいつも一人でやってきてアラビア語の音楽を聴いていた女の子とも知り合いだった。たまに図書館で顔を合わせると、ふたりは嬉しそうにアラビア語で話す。だが、この女の子ともまた突然お別れすることになる。
昼休み、泣きながら図書館にきたその子は、なにかを必死にわたしに伝えてきた。でもお互い言葉が通じない。そこへたまたま本を返しに一人でやって来たローラが、様子がおかしいことに気づき近づいてきた。話を聴くと、その子はクラスメートからいじめられているのだという。「わたしは悲しい、もうこの学校にはいられない」そう言って泣きつづける女の子の言葉をローラは通訳してくれた。
もしかしたら、クラスメートは軽い冗談で何かを言ったりしただけかもしれない。でも言葉がわからず文化もちがい、まだ馴染めていない環境では、だれかにとっての軽い冗談も鋭利なナイフになる。休み時間のたびに図書館へ来ていた彼女がクラスメートと信頼関係が築けていたとは言えないだろう。「もう学校を変えたい」、泣きながら彼女はそう言い続けた。そしてその数日後、その子は本当に転校してしまった。YouTubeでアラビア語の音楽動画を検索する日々も突然終わった。
チェス少年のことも気になっていた。饒舌にチェスのルールについて話していたあの男の子は、ローラの兄だったと知る。彼もローラと同じようにデンマーク語クラスを終え高学年に編入したが、チェスの話をしていた頃とはまったく様子が変わってしまい、無口でほとんど誰とも話していないようだった。あまりにも表情が変わってしまったことが気になっていたが、やはり彼も学校へ来なくなってしまう。数か月後、たまたま駅の近くで、あきらかに怪しいグループの若者たちとつるんでいるのを見かけた。学校へはもう何か月も来ていなかった。目つきがひどく鋭くなっていた。
(この話は2017-19年頃の出来事をもとに書いています。名前は仮名です。)
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