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嘉村磯多、あるいは黒色エレジー(2)(2006)

3 反復強迫
 『崖の下』の主人公は子を「侵入者」として見ているが、実は、その時、作者は子ども時代の自分の姿を思い浮かべている。妹が生まれたことにより、独占していた母を奪われてしまった経験が彼にはある。その彼は、小説や書簡などで父には敬愛の念を示しているのに対し、母へは憎悪や軽蔑を一貫して記している。幼い子が弟妹にこうした嫉妬を覚えるのは決して珍しいことではない。また、最も希求する母を反転して憎むようになることもよくある。ただ、彼は妹の存在を疎ましく思ってはおらず、母のみに気を向けている。妹が誕生する前の母を取り戻そうと女性を追い求めているのであり、自分の子であっても、それはあの妹と同じ「侵入者」にすぎない。

 彼は拒まれた理由を色の黒さに求めて、『途上』の中で、八、九歳の頃の記憶を次のように回想している。

 その場の母の姿に醜悪なものを感じてか父は眉をひそめ、土瓶の下を焚きつけていた赤い襷がけの下女と母の色の黒いことを軽蔑の口調で囁き合った。妹に乳をくくませ乍ら破子の弁当箱のそこを箸で突っついていた母が、今度は私の色の黒いことを出し抜けに言った。下女が善意に私を庇うて一言何か口を挟むと母が顔を曇らせぷりぷり怒って、「いいや、あの子は、産れ落ちるときから色が黒かったい。あれを見なんせ、顎のまわりと来ちゃ、まるっきり墨を流したようなもん。日に焼けたんでも、垢でもなうて、素地から黒いんや」となさけ容赦もなく言い放った。その時の、魂の上に落ちた陰翳を私は何時までも拭うことが出来ない。私は家のものに隠れて手拭につつんだ小糠で顔をこすり出した。下女の美顔水を盗んで顔にすりこんだ。

 母は自分を捨て、妹を選んだが、色が黒いからだと彼は感じている。しかし、その黒さは母譲りであり、母自身も黒いと陰口を叩かれている。彼は拒まれた自分に劣等感を抱くと同時に、自分もそうなくせにと母も忌避することになる。彼が望む女性は色の白い母である。母は自分を黒いと蔑んだが、彼も母を同じ理由ではねつけていく。彼にとって、黒さは不仕合わせの元凶である。そのため、「人間の仕合せは色の白いことに以上にない」(『途上』)と信じるに至る。

 黒さへの忌々しさはその後も事あるごとに思い起こされ、反復される。

 彼は、『途上』の中で、成長してからも、同じ怯えにとりつかれていたと次のように書いている。

 行くうち不図、この霜降りのインバネスを初めて着たおり編集長に「君は色が黒いから似合わないね」と言われて冷やッとした時の記憶が頭に蘇生った。と思うと直に、先月或雑誌で私を批評して、ニグロが仏欄西人の中に混ったような、と嘲笑してあった文字と思い合された。幼年、少年、青年の各時代を通じて免かれなかった色の黒いひけ目が思いがけぬ流転の後の現在にまで尾を曳くかと淡い驚嘆が感じられた。今日に至った己が長年月のあいだに一体何んの変化があったであろう? 禍も悩みも昔と更に選ぶところない一ト色である。思想の進歩、道徳の進歩──何にも無い。みんな子供頃と同じではないか──。と又しても今更のような驚嘆を以て、きょろきょろ自分を見廻しながら電車通りへ歩いて行った。

 色の黒さは、彼にとって、ジクムント・フロイトの「反復強迫」となっている。彼は苦しみの源泉であるにもかかわらず、それを繰り返す。すべてを根源的な無の状態へと戻そうとする涅槃原則である。色の黒さの想起は彼をニルヴァーナへ誘うが、この反復によって自らの生命を引き延ばしてもいる。快感原則が働かない場合、あるいは十分ではない場合、それに代わり、涅槃原則が動き出し、衝動を揺り動かす。衝動は絶対値として作用し、零度からどれだけ離れているかが重要である。望ましかろうと、疎ましかろうと、自分の存在にかかわったより大きな何ものかに触れることで、自己を確認できるからだ。遠い記憶であればあるほど、もしくは深刻であればあるほどよい。

 死は生においてチャイニーズ・ボックスであるが、箱の存在そのものではなく、開けるという行為が涅槃原則である。本来、いかに開けるかを問うべきであるけれども、反復強迫はその開閉自体にとりつかれた状態であろう。彼にとって傷となっているのは拒まれたという思いであり、色の黒さはそれを思い起こさせるきっかけである。「みんな子供の頃と同じ」は反復強迫に囚われた彼を最もよく表わしている。それは彼の私小説を「黒色エレジー」と命名できるようなものにさせてしまう。

4 私小説と出版の自由
 私小説への要求は、日本の読者層には、依然として根強い。私小説は社会的・歴史的変化によって生まれたのであり、当然、それが変われば変容せざるを得ない。現代社会において、従来の財産権から派生した基本的人権に、人格権が加えられるようになっている。それは人の人格価値の発現形態を侵害から法的に保護される権利であり、名誉権や肖像権、氏名権、プライバシー権、著作者人格権などが含まれる。伝統的な表現の自由は人格権としばしば衝突する。人格権が浸透しつつある今日、私小説を書く行為は困難であるどころか、時には卑劣でさえある。

 作家は、表現の自由を主張し、人格権侵害の訴えに腹を立て、自らの執筆活動を正当化しようとする。しかしながら、それは扱う対象が公人であって認められる主張である。

 人は法的・社会的・時代的網の目に置かれているのであり、社会性はそうした関連性を見出せる経験・能力である。いかなる影響が法的・社会的に及ばされるのかということに文学者は一般に鈍感だと言える。作家には、リテラシーとコミュニケーションの能力が最も重要であるにもかかわらず、それが脆弱である。

 出版の自由はジョン・ピーター・ゼンガーの訴訟がきっかけとして成立している。ゼンガーは、『ニューヨーク・ウィークリー・ジャーナル』紙に、ニューヨークの総督ウィリアム・コスビーに対する批判記事を掲載したため、その真偽と名誉毀損をめぐって訴えられたものの、1735年、横暴な権力に抵抗するのは当然の権利であるとして無罪となっている。出版の自由はこの植民地アメリカでの判決に基づいて認められていく。

 名誉毀損において、発言の公共性・目的の公益性・内容の真実性が争点となるが、反論の機会が与えられているか否かもその成立の条件となる。言論の場合、真実に足る相当の理由があるという程度で構わない。かりに内閣総理大臣に対して「裸の王様」と批判する記事を夕刊紙が書いたとしても、反論の機会はいくらでもある以上、名誉毀損には当たらない。民事と刑事では、むろん、若干事情が異なる。

 しかも、1.6km先から望遠レンズでパパラッチに盗み撮りされるセレブと違い、作家は出版社によって守られている。週刊誌などで作家のスキャンダルやゴシップが報じられることは稀である。執筆や出版を考慮して、出版社がそれらを自粛しているからである。過去には、「こんな記事を載せるのであれば、おたくにはもう書かない」と抗議した作家も実際にいたものである。作家本人だけでなく遺族が実証的な文学研究に非常識なけちをつけることさえある。対象が公人ではなく、私人である場合、作家と非対称な関係に置かれてしまう。そこに専ら公益性があると認められることは少ないだろう。

 なお、日本では、著作権と著作者人格権は別の権利として法体系に位置づけられている。前者は財産権、後者は、上述の通り、人格権に属する。作家はもちろんのこと、出版社にも著作権と著作者人格権の区別がついていなかったり、著作権をわかっていても、著作者人格権が何たるかを理解していなかったりするケースは決して稀ではない。

 80年代くらいまでは、作家のスキャンダルやゴシップも報道されている。と同時に、金をたかったり、貶めてやろうと近寄ってきたりする輩に悩まされながら、筆をとり続けた作家の話も同情を呼んだものである。

 けれども、文壇内でお互いに作品の中で触れ合う時代はもう過ぎ去っている。それは、むしろ、セレブをめぐるあけすけな暴露本の方に残っている。作家は他の作家とかかわり合いになることを避ける傾向がある。厳しい批評にさらされまいと、文学的知識・認識・技術が継承されにくく、個々の作家も向上するのは難しい。かつての文壇は、問題点がありながらも、作家にとって学びの場として機能している。文学は協同作業を通じて発展してきたのであって、現代的なあり方を前提としつつ、それを見直すのは決して無駄ではない。

 もっとも、たいていは作家になるのが精一杯で、第一作以上の作品を書けずに、付け焼刃を改善しないまま、同じことを繰り返すだけに終わる。本質的・体系的な知識や教養に欠けるものの、別に作家にならなくても、ゼネコンの営業マンだろうと、IT企業の起業家だろうと、国家公務員だろうと、外資系金融機関のトレーダーだろうと成功したに違いない要領がよく、抜け目のない者が次々とデビューしていく。

 その反面、奇抜なライフ・スタイルや病的なパーソナリティを売り物にする作家が登場したとしても、当然の成り行きである。社会性と計算高さは、必ずしも、比例しないものである。テレビ界でも、元プレイメイトであり、見る影もなく肥え太ったアナ・ニコール・スミスが実際にダイエットしていく過程を放映した『アナ・ニコール・ショウ(The Anna Nicole Show)』が当たるなど世界的に出演者が身体をはった番組がお茶の間を席巻している。それは、概して、社会現象の一つとして考察の対象となるとしても、文学のジャンク・フードであり、カロリーは高いが、栄養価は低くという代物である。もっとも、それがないというのも、禁酒法的で、味気ないに違いない。

 言うまでもなく、今の生ぬるい保護下にある作家にできるかどうかは別にして、「法律が何だ?誰に何と言われようと、自分の信じる芸術を表現する!」と確信を持って、泥沼の訴訟を覚悟し、メディアの自粛を断り、好奇の目にさらされても、自らの信念を貫き通すのも文学者としてとりうる姿勢ではある。


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