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東アジアの長い20世紀(2015)

東アジアの長い20世紀
Saven Satow
Jun. 16, 2015

“OH, East is East, and West is West, and never the twain shall meet,
Till Earth and Sky stand presently at God’s great Judgment Seat;
But there is neither East nor West, Border, nor Breed, nor Birth,
When two strong men stand face to face, tho’ they come from the ends of the earth!”
Rudyard Kipling “The Ballad of East and West”

 イギリスの歴史学者エリック・ホブズボームは、1994年刊行の『極端な時代 (Age of Extremes) 』(において「短い20世紀(The Short Twentieth Century)」という概念を提唱する。それは第一次世界大戦の開戦からソ連の解体まで、すなわち1914年から1991年までが20世紀とする見立てだ。彼は、すでにいくつかの著作を通じて、19世紀をフランス革命の勃発から第一次大戦前夜、すなわち1789年から1914年までと規定している。これを「長い19世紀(The Long 19th Century)」と命名する。「「短い20世紀」はそれと対をなす概念である。

 欧州に焦点を合わせて歴史を区分するなら、この主張は妥当だろう。実は、ホフステードより前に石橋湛山が1941年発表のコラム『百年戦争の予想』の中でナポレオン戦争から第一次世界大戦までを19世紀と規定している。20世紀はそれ以降で、帝国主義に代わり自由貿易がグローバル化する時代と捉えている。地球規模の自由貿易には競争と同時に制度やルールの共有など国際的協調が不可欠である。この世紀の区分は制限選挙のエリート・デモクラシーと普通選挙のマス・デモクラシーにも対応する。社会をさまざまな角度から捉えても妥当することが多く、汎用性の高い時代区分である。

 しかし、東アジアに焦点を合わせるなら、この区分は必ずしも適切ではない。20世紀は日清戦争に始まったのであり、短いどころかむしろ長い。東アジア史においては「長い20世紀」がふさわしい。

 日清戦争はアジアの国家同士が激突した最初の近代戦である。この戦争の大きな要因は日清の朝鮮における主導権争いである。その結果、東アジアの国際関係を長年に亘って支配してきた華夷秩序が崩壊する。力の均衡が崩れた東アジは新たな世界秩序に組みこまれる。列強は中国を分割するが、軍事的プレゼンスが上昇した日本は帝国主義化し、彼らの既得権益を脅かす存在へと成長していく。

 この経過は19世紀的ではない。力の均衡が損なわれるように、戦争が行われているからだ。

 欧州において19世紀を規定する国際政治の理論的根拠は力の均衡である。それは欧州全体を巻き込んだナポレオン戦争の反省から出発している。欧州大戦争が勃発したのは、その統合をもくろむ軍事的に突出した国が出現したからである。そうさせないためには、諸国は同盟を柔軟に組み替え、その力学によって力の均衡を保てばよい。ある国が軍事的に台頭してきたら、他の国々は同盟を結んで対抗し、その動きを潰して均衡状態を回復せねばならぬ。大戦争を予防するための商戦争はやむを得ない。これが力の均衡である。

 ところが、日清戦争にこの理論は適用されていない。朝鮮をめぐる日清の主導権争いを戦争で決着をつけるというのはこれと無縁だ。しかも、日本の勝利により列強の東アジアにおける経済権益のバランスも不安定化する。日本に対する不平等条約を維持するため、列強は強調してきたが、それも解体する。

 日露戦争も日清戦争の延長線上にある。中国や朝鮮の権益をめぐる日露の争いが大きな要因だ。終戦直前の樺太を除けば、戦場も日露の領土以外であることからもその位置づけが理解できよう。

 アヘン戦争以降、列強は中国市場へ相次いで進出する。ただ、欧州と違い、モンロー主義の適用外として合衆国も門戸開放・機会均等を列強に要求している。日本への黒船来航の直接的目的はアメリカの中国市場への参入である。もっとも、南北戦争の勃発により合衆国は対外進出の余裕がなくなり、列強の力の均衡が中国市場でも働いている。

 日清戦争はこのバランスを崩す。三国干渉という協調も見られるが、列強の経済競争が激化する。半植民地状態に陥った中国ではナショナリズムが勃興、政情不安が加速している。

 経済権益獲得の競争をしながらも、ヨーロッパ列強は協調を決して忘れない。投資にはリスクがつきものであり、それを軽減するためにも共同歩調にはメリットがある。中国国内の混乱により、投資リスクは格段に上がり、列強はこれまでにも増して競争と協調の多国間調整によって対応せざるを得ない。

 1912年に辛亥革命がおこり、清朝が滅亡、国内が流動化していく。この混乱が収束したのは1947年の中華人民共和国の成立である。

 華夷秩序の崩壊を東アジアの19世紀の終焉とするならば、20世紀はポスト華夷秩序の時代だろう。第一次世界大戦後の日本は中国権益に関して国際協調に消極的である。帝国主義日本が東亜新秩序や大東亜共栄圏などを提唱したが、それは自らを新大陸におけるアメリカに見立てた「亜細亜モンロー主義」の別名である。徳富蘇峰の示したこのイデオロギーは国内で広く受け入れられたけれども、そこに転倒した華夷秩序を見出せよう。この構想の下、東アジアは戦乱が続く。

 戦争は偶発的事故から始まる危険性がある。そこで列強は帝国主義的膨張をする際にも直接対峙しないように緩衝地帯を設ける。英領インドとロシアの間に建国されたアフガニスタンがその典型である。しかし、日中戦争ではこうした工夫もなく、とりとめもなく衝突が起こり、泥沼化している。

 日清戦争は領土問題発生の契機にもなっている。日本は対外戦争で勝てば、領土を得られるという認識を抱く。しかし、それは戦争の連鎖を招く。領土問題は戦争で解決しない。勝った側がこれで終わりと思っても、負けた側はそれを認めないからだ。終戦は次の戦争を用意する。日中国交正常化の際に、両国の政治家が領土問題を将来世代へ先送りしたのは真に卓見である。

 19世紀は各地域が独自の秩序で形成されている。それらを内包する国際秩序はまだない。20世紀は各地域が国際秩序にとりこまれる。日清戦争終結から東アジアの20世紀が始まるというのはこうした意味である。

 東アジアが国際秩序に組みこまれた時代においてその転倒を含めて華夷秩序への執着はアナクロニズムであろう。日清戦争以後に活発化するナショナリズムは民族自決や領土保全といった国際連盟の原則につながっている。

 第一次世界大戦の勃発は力の均衡の理論的破綻である。オーストリアとセルビアの戦争が同盟のネットワークにより欧州全体を戦渦に巻きこむ。戦争を防ぐために国際機関を通じた多国間協調が求められるようになる。

 20世紀の国際秩序の共通認識は競争と協調であろう。それが列強のみならず、国際的に共有される発端は日清戦争以後の中国情勢である。東アジアにおいて競争と協調が損なわれた時、地域は不安定化する。東アジアでは長い20世紀がまだ続いている。
〈了〉
参照文献
石橋湛山、『石橋湛山評論集』、岩波文庫、1984年
エリック・ホブズボーム、『20世紀の歴史 上巻: 極端な時代』、河合秀和訳、三省堂、1996年

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