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オードリー・ヘップバーン(2011)

オードリー・ヘップバーン
Saven Satow
Feb. 20, 2011

「オードリーの映画は、いつも彼女が引っ張ってくれる」。
池田昌子

 毎年2月を迎えると、アカデミー賞に関連するアンケート結果が新聞紙上に登場します。その中でおそらく日本固有の傾向とされるのが、オードリー・ヘップバーンの人気の高さです。

 しかし、日本の人々がこのベルギー出身の女優と彼女をアカデミー最優秀主演女優賞に導いた『ローマの休日』が好きだという評価は正確ではないでしょう。それらは「特別」です。と言うのも、この1953年公開映画のオードリー・ヘップバーンは、戦後、日本女性をファッションに目覚めさせたからです。

 戦争が終わり、経済的にはともかく、女性たちはファッションを自由に選べるようになります。もう贅沢は敵ではないのです。46年には禁止されていたパーマネントも復活します。モードも民主主義の時代に入ったわけです。けれども、モンペを脱ぎ捨てた後で、何をどう着てよいのか想像がつきません。自分なりに考えては見るものの、どうもしっくりときません。せっかく戦後になったのですから、その気分が反映されていなくては面白くありません。オシャレをしたくても、憧れの対象さえ見つからないのです。銀幕のスターに求めようとします。

 そんなときに公開されたのが『ローマの休日』です。主演は、これが映画の本格的デビューとなるオードリー・ヘップバーンです。当時、アンネ・フランクと同い年の彼女の名前を知っている日本の女性は非常に少なかったでしょう。けれども、この元レジスタンスの闘士は、そのウィリアム・ワイラー監督作品により、彼女たちに忘れえぬ女優となるのです。

 オードリー扮するアン王女は堅苦しい生活に我慢ならず、訪問先のローマでとうとう城を抜け出します。そこで、偶然、アメリカ人のジョー・ブラッドと知り合います。彼女の素性に気づいたこの新聞記者は、王女の秘密のローマ体験という大スクープを目論み、職業を偽ります。友人のカメラマンのアーヴィングを呼び、このおてんばとローマ刊行をすることに成功します。彼女はまず美容院でショートカットにし、スペイン広場でジェラートを食べ、ロングのフレアースカートをなびかせてジョーとベスパに二人乗り、真実の口を訪れ、サンタンジェロ城前のテヴェレ川でのダンスパーティーに参加します。アンとジョーは心惹かれ合っていくのですが、最後には二人とも元の立場に戻るのです。これはまさに日本お少女マンガが目指す永遠のラブコメでしょう。

 日本の女性たちはオードリー演じるアン王女に自分たちの姿を重ね合わせてこの映画を見ています。抑圧的な世界から飛び出し、ヘアースタイルも自分で決め、ちょっと冒険を楽しむことは彼女たちが捜し求めていた憧れです。映画館を出た女性たちは、オードリーを手本に、ショートカットにし、ロングのフレアースカートを身にまとうのです。

 翌年には『麗しのサブリナ』が公開され、これもヒットします。今度はサブリナパンツが女性たちを魅了します。腰からふくらはぎまでフィットしたシルエットで、裾から少し素肌が覗き、カジュアルかつ活動的な印象を与えます。足元にはサブリナシューズです。日本の女性たちは、先のショートカット同様、女性に関する価値観の転倒をそこに見出し、早速自分達のファッションにとり入れていくのです。

 オードリー・ヘップバーンは、この二作で、日本の女性にとって特別の女優となります。もっとも、彼女は演技幅も狭く、絶世の美女でもグラマラスでもありません。同時期に活躍したハリウッド女優にはエリザベス・テーラーやマリリン・モンロー、グレース・ケリー、デボラ・カーなどがいます。魅力的であったとしても、この面々と比較すると、突出しているわけではありません。けれども、オードリーは、日本の女性ファッションにとって、仏教における鑑真のような存在なのです。彷徨い続ける日本の女性たちにファッションに目を開かせています。ここからモードの受容が日本で始まったと言っても過言ではありません。彼女が日本の女性から愛され続けているのはそのためなのです。
〈了〉
参照文献
藤原康晴他、『心理と服飾』、放送大学教育振興会、2005年

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