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タトゥー 6

いつの間にか窓の外が暗くなって明るくなっていた。空は紺色になっていたが辺りの店の灯りが輝いていた。

愉しかったなぁ。今日のことは勿論一生忘れないだろう。またタトゥーを入れることになったら絶対にまたKさんに頼む。本当はもう2つ、足首と左腕に入れたい。けれどこれからどんな仕事に就くか分からない。まぁでも、カタギの仕事なんてすることはないだろう。したくても多分出来ないだろうし……とぐるぐる考えていると
「ポルトガル行くんだよね?来週だっけ」とKさんが訊く。
「そうです。哀愁のポルトガルです!」
「いいなぁ、俺も行きたいよ。けどめちゃ忙しいから今は無理だ。稼いだ金で好きに出来るっていいよな、人生愉しまないとな。沢山遊べよ」
「は~い!また来ますね」

友達と2人で、今度は店のそばからバスに乗って駅まで行った。友達の左腕は赤くなっていた。私の背中もまだ赤いのだろうか。

家に着いてすぐ、店のホームページの掲示板に書き込みをした。
「今日はありがとうございました。2人組のヘビースモーカーの方です。Kさんに施術してもらったことが嬉しくてこうして早速書き込んでいます。さっきからずっと鏡で眺めて、首が痛くなってしまいました 笑。もう、また入れることを考えて、ホームページを穴が開くほど見ています。今度は大航海時代の帆船を入れます!その時はお願いします!本当にありがとうございました。Muito obrigada!」

すぐにKさんから返信の書き込みが来た。
「お疲れ様。さっきはありがとうな。君はなかなか癖あって強者だな。これからも自分の美学を貫けよ!哀愁のポルトガル旅行、楽しんできてくれ!お土産話待ってるぞ!」

なぜか涙が出てきた。
はい、私はKさんが彫ってくれたタトゥーを背負って生きます。恥じないように。リスボンの街なら、タトゥーを見せて歩いても問題はないだろう。カッコいいね、どこで彫ったの?って言われたらトーキョーのKさんってすげぇイカした人にやってもらったと自慢するんだ。

Kさんが修行したルーマニアには、1年前に訪れていた。その時とても気に入った場所がある。それはウクライナとの国境そばにある「陽気な墓」と呼ばれる墓所で、村人の墓が沢山並んでいるのだが、これがすごい。

ルーマニア、サプンツァ村の「陽気な墓」

青地のカラフルな墓標には、死者が生前どんな人だったのかがイラストと滑稽な文章とで刻まれている。
ルーマニア語が分からなくても、イラストを見れば
「ああ、この人は羊飼いだったんだな」とか
「学校の先生?かな」って分かるのだ。
で、すごいのが生前の様子ではなく、死にざまが描かれているものも多いこと。
「あ…これは…車に轢かれて死んじゃったのか」
「どう見ても、これって処刑された人だよね…」とか。

私、あの墓所を訪れて思ったの。
「死にざまの方がインパクトある生き方はしたくない!」ってね。

お土産にね、売ってたんだ。ミニチュアの墓標が。これなんだけど。

たまたま職人さんがお墓の手直しをしていたから、頼んで私の名前を入れてもらった。イラストはこれ、男の人だけど(女の人のもあった)、私はこれが気に入ってしまって。たったの10ユーロで自分の墓標を手に入れてしまった。私は2002年にある意味、すでに死んでいるのだ。こんなカッコいい、持ち運びできる墓標なんて素晴らしいと思わない?

あまりにも「陽気な墓」が気に入ってしまって、生前予約は出来ないのかと訊いてみたら、予約でいっぱいと言われてしまったよ。まぁ、村人しかここに眠ることは許されないんだろうなと思いつつ訊いてみたんだけどね。
でももし、私がここに眠ることになればどういうイラストが描かれて、どんな文章が書かれるのかなと想像したんだ。
「最高にイカしたパンクロッカー、暑くても革ジャンを着て変な奴だと思われてた」とかさ!

「あくまで自分にとってタトゥーってのはファッション」って言ったけど、ネット上には載せていない。載せるつもりもない。どんな柄かも話していない。私は顔を公開してるし、文字通り頭のてっぺんからつま先まで写真載せてるのにね。
普段は隠せる場所に入ってるので見せて出歩くこともない。けど、海外とか日本でもバーとかクラブでは隠さないこともある。見せつけたいんじゃない。ただタトゥーが見えてしまう服を着ることもある、って感じ。

2度目のポルトガル旅行では堂々とタトゥーが見える服を着て街を歩いたこともある。3度目はなんとその数か月後、10月にも行ったから2003年には3度ポルトガルに足を運んだことになる。4度目、最後はその4年後、2007年に行った。それからもう実に16年経っているのだ。また行かれる日は来るだろうか?

あれから結局、タトゥーを入れることはなかった。これから?分からない。
もう、あの日Kさんに入れてもらったタトゥーは色あせ、青っぽくなっているし、Kさんの言った通り歳を重ねたことで滲んでいる。

Kさんはあの後しばらくして日本を離れ、ドイツで色々あったようで何軒か店を転々としたようだ。その後も何度か思い出す度に名前を検索したけれど、どこにいるのか分からなくなっていた。そして今日、まさに今、なんとなく検索したら去年帰国していて、千葉で店を開いているではないか!その技術はさらに磨きがかかり、そして相変わらずのあの人柄……ああ、久しぶりに会いたいような、そうでないような。
でももし、コンタクトを取るなら
「こんにちは。Boa tarde! 覚えていらっしゃるか分かりませんが……2003年、Kさんにお世話になった者です。『哀愁の癖ある強者』という二つ名をもらった女です」って切り出そうかな。
「で、いつ来るの?」って返事が返ってきたりなんかしちゃったら面白いじゃん?

もう、自分のタトゥーを鏡越しに見ることはほぼなくなっちゃったんだけど、久しぶりに今眺めてみたらやっぱりあの時と同じように首が痛くなってしまったよ。
ーーまた感じた、懐かしい痛み。

<終>