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雷雨の翌日にわたしは生まれた(仮)<127>

Sweet Memories

スーパーも夜のお店ももう行かない。私は無断欠勤を続けた。夜の店はともかく、スーパーには退職手続きやら荷物の引き取りで足を運ばなくてはならないだろう。憂鬱だ。このぼろくて広いアパートに一人きり。出掛ける気力さえない。しかしなにもしなくても心臓は動くし腹も減る。金も減る。

近所のスーパーに数日分の食料を買い出しに行ってアパートに戻るとメールが二通来ていた。一通はアユからだ。
「昨日店に行ったんだけど、私もお茶ひいたわ。もう辞めるって弥次郎に言ったら、お前、レイに変なこと言ったか?って言われたよ。意味わかんねー」
弥次郎はアユにも同じことを言っていたのか。仲違いさせようとたくらんでいたのかも知れないがどうでもいい。
もう一通はスーパーのバイト、一つ年下の男子で夜学に通うマッキーからだった。
「大丈夫か?みんな心配してるぞ。あのコミちゃんですら、南さんは悪くないって言ってたぞ。他の人たちもミホちゃんがいないのは寂しいって。とにかく、みんなお前の味方だからな」
コミちゃんというのは小宮山というジャイ子のような見た目のパートさんだ。気難しくてみんなと打ち解けずいつも一人で休憩を取っている。あのコミちゃんですら、私を心配してくれているのか……。本当にパートさんとバイトの子たちには恵まれた。もうみんなと仕事することはないと思うと悲しくてたまらなかった。思わず涙がこぼれた。

さて、どうしようか。どうしようもなにも、働かないといけない。コンビニで高収入の求人誌を久しぶりに買った。ああ、親になんて説明しようか。スーパーを辞めたことを黙っていても遅かれ早かれバレるだろう。そうしたら半狂乱になって一緒に住めなどと言われるに違いない。必死に言い訳を考える。

スーパーと店を同時に辞めた日から数週間後、私は新しい店に勤めることになった。そこは以前のところと同じ業種だが、大きなグループの一店舗だった。前みたいな個人で経営している店は私には合わないと思ったので選んだのだが、これがとにかく厳しかった。客が帰る際に書くアンケートの結果が少しでも良くないと説教をされるわ、集団で待機しないといけないわ。私は本質的に夜の商売などに向いていないのだろう。とにかくお金のためと思って頑張ったが指名客がなかなか付かなかった。ああ、なんでこんなことをしなくてはいけないのか。全てはあの親が悪いのだ。恨んでも恨み切れない。本当なら、いや、上手く行けば今頃私は外国で仕事をする公務員になっていたはずだ。けれどそれも全て、親から離れるためだったっけ。もう、働きたくない。生きていたくもない。私はたったの3週間でその店も辞めてしまった。

ロクに飲めないのに酒を昼間からあおって、階下のスナックから漏れてくる下手くそなカラオケを聴いていると虚しさがこみあげてくる。けれどこんなこともしていられない。早く次の店を探さなくては。気持ちばかりが焦る。酒なんて飲んでいる余裕など全くないのに、なにをやっているのだ、私は……。

年を越すとすぐにスーパーから電話が掛かってきた。退職するのなら手続きを速やかにと。ああ、やはり行かなくてはならないか。未だ無職の私。やはり考え直して、スーパーに戻ろうか?けれどスーパーだけの給料じゃギリギリ一人暮らしが出来るかというところだし、どうせ昇給も見込めないだろう。私は真っ当な社会生活にことごとく向いていないのだということを改めてはっきりと思い知らされた。

駅のデパートの地下で、菓子を買ってからスーパーに向かった。もうスーパーに行かなくなってから2か月が経っていた。久しぶりの職場。気まずくてたまらなかった。退職届を書き、すでにロッカーから取り出された私物、穿き古したストッキングまであったのが少々恥ずかしかったーーを受け取ってからレジ室に行くと、社員並みに働く有能なパートさんがいた。
「長い間お世話になりました。これ、少しで申し訳ないですが皆さんで頂いて下さい」
頂いて?召し上がって、だろう。私のバカ。パートさんがなんと言ったのか覚えていない。けれど休憩なのかすぐに出て行った。私は菓子と共に用意していたメッセージカードを机に置いた。
「長年お世話になりました。皆さんお元気で! 南」

さようなら……もうここに二度と足を踏み入れることはない。そう思うと涙が止まらなくなった。喪失感。嫌なこともあったけれど楽しいことも沢山あった5年間。良くしてくれた方々の笑顔だけが浮かぶのがかえって辛かった。廊下を出て受付まで向かう間、食品レジの誰にも会うことはなかったのは幸いだった。こんな姿を見られたくなかったし、同情されるのも真っ平だったからだ。

「お疲れ様でした」
5年間何度も繰り返した言葉を受付で口にして外に出た。帰る場所は私のアパートの外なかった。アパートに帰る途中、中山電気商会と書かれた白いバンを見かけた。客だったヒロ君が乗っていたのかは分からなかった。