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雷雨の翌日にわたしは生まれた(仮)<134>

Go East

初めてのヨーロッパ、初めての一人旅は旅とはとてもいえない、しまりのないものになってしまった。今度旅をするときはもう少ししゃんとしなければ。色々なものを観て、楽しい思い出を作りたい。そうだ、目的があればいいのだ。今回のようになんとなく決めてしまうのはよくない。そんなことを考えていたら、機内食が運ばれてきたがやはり往路のように松花堂弁当は品切れだった。

帰国して数日間は休みを取った。その間は旅行代理店に行ってパンフレットを眺めたり、本屋でガイドブックを読み漁った。次の旅はやっぱり東欧にしよう。中学の頃から「いつか絶対にこの目で見てやるんだ」と思ったベルリンの壁を見たいし、好きな小説の舞台のプラハにも行きたい。ドイツ、チェコとオーストリアの3か国を廻ろうか。私はロンドンの余韻に浸る暇などなく、頭の中は東欧旅行のことでいっぱいになった。

電気屋にも行って、パソコンを物色した。うーん、やっぱり高いなぁ。高校のクラスメイトだったタケと3年前、一緒に電気屋に行ったっけ。タケは当時出たばかりのオレンジ色のiMacを迷うことなく買っていて羨ましく思った。私は機械音痴だ。パソコンなんか使いこなせるだろうか。いや、機械音痴というよりは新しいことを覚えるのに時間がやたらかかるのでパソコンなどを買おうものなら一日中ロクに寝食も忘れてああでもないこうでもないと使い方を覚えようと必死になるに違いない。

タケは今どうしているのだろう。彼女とは仲違いしてしまった。当時私はまだ夜の商売はしていなくて、スーパーから退勤したあとによく彼女とファミレスで食事をした。彼女は体育系の専門学校に通っていて、その傍ら複数のアルバイトを掛け持ちしていた。アメリカ横断旅行がしたくてお金を貯めるために。
「ねぇねぇ、シアトルとか行ってみたくない?ラスベガスもいいよなぁ。そんでグレイハウンド乗って最後にニューヨークってのよくない?ヒッチハイクなんかもしたりしてさぁ。南くんも一緒に行こうぜぇ~。絶対楽しいと思わん?」
タケは『地球の歩き方 アメリカ』をペラペラめくって私に見せてきた。付箋があちこちに挟まれている。
「うーん、私はアメリカよりヨーロッパに行きたいんだよねぇ。それに今、マジで金ないし」
「南くんの職場、給料安いんでしょ?辞めちゃってバイト掛け持ちしたら?そしたらすぐ貯まるよ。それに貧乏旅行だしさぁ。30万くらいあればなんとかなるべ。行っちゃったらなんとかなるって」
タケは私が大学を退学したことを勿論知っている。母が奨学金を使い込んでしまったことも。今は家を出るのが先だ、旅行なんてしている余裕など全くない。スーパーの他に仕事をしなくてはいけないとは考えていた。
「そうだねぇ。私さぁ、お水やろうと思ってるんだよね」
「お水?そんなことしなくても稼げるバイトあるって。オレが今やってる引っ越し屋のバイト、めっちゃキツいけど結構稼げるよ。紹介してあげるから一緒にやらん?」

タケは自分のことを高校時代から「オレ」と呼んでいた。スカートなんて穿いているのを制服以外に見たことがないし、服は着ていて楽かどうかで選んでいる。
タケは高1の頃に母親を病気で亡くしていたが、その母親というのはとにかく派手でブランド品を好み、入学式には銀ラメのドレスで参列したというのだ。男勝りで体力自慢のタケとは気が全く合わなかったようで
「あんな奴、死んでせいせいした」と事あるごとに言っていた。それを聞かされる度に私はタケがいわゆる女らしいとされているものを嫌悪しているのも不思議じゃないなと思っていた。
「私、タケみたいに体力ないからさ~。引っ越しのバイトなんて無理だわ。私が高校んとき、体育いつも1だったの知ってるべ?」
タケと違って私には冷蔵庫を軽々と運んだりなんか出来るわけがない……。
「やってみないと分からないじゃん。いつも南くんはそうやってネガティブになる!お水なんてオレは軽蔑するわ。おっさんに媚びて金貰うなんて信じられない。南くんがお水なんかやったら友達やめるよ」
友達ってなんだろう。じゃぁ、タケが私が不本意に抱えてしまった奨学金、つまりは借金を返す手伝いをしてくれるの?私はこのままじゃ家も出られないのに。私はそう言いかけたがやめた。
「こうやってファミレスでご飯食べられるなんて恵まれてると思わなきゃ。それをあんたは分かってないでしょ。もっと貧乏な人なんていくらでもいるじゃん」
ハンバーグもスープも冷めてしまっていたが、黙って口に運んだ。こんな説教はゴメンだ。
あれからタケには会っていない。連絡もない。

電気屋に並んだパソコンを前にして色んなことを思い出してしまった。勲さんもパソコンを持っていて、某カルト宗教団体が経営しているパソコン屋だとは知らずに入ってローンで買ったけれど、教祖や幹部が逮捕されて残金は支払わずに済んだと笑っていたっけなぁ。

明日はスーパーでお世話になった春山さんの送別会。ロンドンで買ったお土産をバッグに入れる。あの店に行くのも久しぶりだ。みんなは変わりないだろうか?私は変わってしまったのか、そうでないのか分からない……。この街も昔とは随分様変わりしてしまった。アパートの窓から月を眺めた。階下からはいつもの下手くそなカラオケが聞こえてくる。