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日本精神を呼び覚ませ(実語教から学ぶ)

前回の記事で実語教の原文と読み下し文を紹介しました。

日本人の抵抗を恐れたGHQは,日本精神を呼び起こす膨大な書物を焚書により抹消し,さらに歴史的な書物を読めないように日本語教育を歪めてしまいましたから,今は実語教の原文を読んで理解できる人はわずかでしょうし,仏教を学んでないと読み下し文でさえよく分からないかもしれません。
なので,今回は原文に現代語訳を併記し,仏教用語の注釈を記載しました。現代語訳は様々な人の訳を参考に私が意訳したものですので,大意は同じですが他の方の解釈とは若干異なります。
また,( )で解説を,【】で勝手な私見を追加しています。

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実語教

原:山高故不貴 以有樹為貴
現:山は高いから貴いのではなく,樹があるからこそ貴いのです。
【この最初の一文で,森林伐採してメガソーラー設置するなんて悪行は,本来の日本人は絶対にしないということが分かりますね】

原:人肥故不貴 以有智為貴
現:人は肥えている(富がある)から貴いのではなく,智があればこそ貴いのです。

原:富是一生財 身滅即共滅
現:冨は一生の財ですが,身が滅べばともに消滅します。(あの世に持っていくことはできません)
【わかっているはずなのに,金,金,金。】

原:智是万代財 命終即随行
現:智は万代の(後世まで残せる)財であり,命が終わっても魂に残るものです。

原:玉不磨無光 無光為石瓦
現:玉(魂)は磨かなければ光らず,光らなければ石や瓦と同じです。
【金儲けに勤しむばかりで玉を磨かないから,石ころみたいな政治家ばかりなんですね】

原:人不学無智 無智為愚人
現:人は学ばなければ智を得ることがでず,智の無い人を愚人といいます。
【座右の銘です。学べば学ぶほど自身の無知に打ちひしがれ,愚人とならぬよう日々学ばねば!と思ってはいますが,これがなかなか難しい💦】

原:倉内財有朽 身内才無朽
現:倉の財は朽ちてしまうことがありますが,身に着けた財(智・才能)は朽ちることがありません。
【仏教では,現世で習得した技能・才能は来世に持ち越しできる貯金のようなものだそうです】

原:雖積千両金 不如一日学
現:たとえ千両の金を積んでも,一日の学びには及びません。

原:兄弟常不合 慈悲為兄弟
現:兄弟でも常に志が同じとは限りませんが,慈悲の心があれば世の人々は兄弟のようです。

原:財物永不存 才智為財物
現:財物は永遠のものではなく,才智こそ財物であり消えることはありません。

原:四大日々衰 心神夜々暗 幼時不勤学 老後雖恨悔 尚無有所益
現:身体は日に日に衰え,心神(魂)も衰えていきます。幼少期から勤学しなければ,老いてから悔いても何にもなりません。
【多くの人がこれを痛感しているのに,学ばないのは何故でしょう】

四大:万物(人の身体も)を構成するもの。地・水・火・風。

原:故読書勿倦 学文勿怠時 除眠通夜誦 忍飢終日習
現:だからこそ読書を止めてはならず,学問を怠ってはなりません。寝る間を惜しんで書を読み,飢えに耐えて終日学び習いなさい。

原:雖会師不学 徒如向市人
現:良い師に出会ったとしても自ら学ばなければ,市井の人と交わるのと同じです。
【そもそも良い師を見分ける能力が・・・だから騙されるのですが】

原:雖習読不復 只如計隣財
現:習い読んでも繰り返さなければ,それは隣の家の財を数えるのと同じで無意味です。

原:君子愛智者 小人愛福人
現:君子(善人・賢い人)は智者を好み,小人(悪人・つまらない人)は金持ちを好みます。
【今の世界を見ると,見事にこの通りですね】

原:雖入冨貴家 為無財人者 猶如霜下花
現:たとえ財があり身分の高い家に生まれたとしても,智が無ければ,それは霜に花が咲くようなまぼろし同然です。
【正にデマ太郎やセクシー進次郎のことを言ってるようで,いつの時代にもそんな輩は居るということですね】

原:雖出貧賤門 為有智人者 宛如泥中蓮
現:たとえ貧しく賤しい家の出であったとしても,智の有る人は,まるで泥に咲く蓮のようです。

原:父母如天地 師君如日月
現:父母は天や地と同じ(なくてはならないもの)であり,師君は日や月と同じ(自分より上の存在)です。

原:親族譬如葦 夫妻尚如瓦
現:例えれば,親族は葦と同じであり,夫妻は雨雪をしのぐ瓦と同じです。(親戚は葦のようにたくさんいますが,夫婦は互いに寄り添い苦難を乗り越えられる存在です)

原:父母孝朝夕 師君仕昼夜 交友勿諍事 己兄尽礼敬 己弟致愛顧
現:父母には朝から夕まで孝行し,師君には昼夜を問わず仕え,友と争ってはなりません。年長者には礼節と敬意を尽くし,年少者には愛情を持って接しなさい。
【こんな当たり前のことさえできない今の社会って情けないの一言です】

原:人而無智者 不異於木石 人而無孝者 不異於畜生
現:人として智がない者は木や石と変わらず,人として孝がない者は畜生と変わりません。

原:不交三学友 何遊七学林 
現:三学を学ばずに,どうして七覚を持てましょう。(基礎を学ばないのに,その先は身に付きません)

三学 : 仏教の基本的な修行
・戒学(かいがく):心身の悪い行いを抑制すること
・定学(じようがく):精神を統一すること
・慧学(えがく):理性をもって道理を悟こと

七覚支:仏道修行における7つの大切なこと
・択法覚支:真偽を見極めること
・精進覚支:努力すること
・喜覚支:喜びをもつこと
・軽安覚支:快適さを感じること
・捨覚支:執着しないこと
・定覚支:精神を乱さないこと
・念覚支:惑わされないこと

原:不乗四等船 誰渡八苦海
現:四等の船に乗らずに,誰が八苦の海を渡れましょう。(人として大事なことを知らずして,苦しみを乗り越えることはできません)

四等(四原理,四無量心):4つの徳
・慈:他者を慈しむこと
・悲:他者を哀れむこと
・喜:他者と共に喜ぶこと
・捨:平等で冷静なこと

八苦:八種類の苦しみ(四苦は「生・老・病・死」)
・生苦:生まれる苦しみ
・老苦:老化する苦しみ
・病苦:病気にかかる苦しみ
・死苦:死ぬ苦しみ
・愛別離苦(あいべつりく):親愛する人と離れる苦しみ
・怨憎会苦(おうぞうえく):嫌いな人と会わないといけない苦しみ
・求不得苦(ぐふとくく):欲求が満たされない苦しみ
・五陰盛苦(ごおんじょうく):心身の苦痛や苦悩

原:八正道雖広 十悪人不往
現:八正の道は広いけれど,十悪の人はその道を行くことさえできません。

八正道(はっしょどう):仏道修行の基本となる8種の徳
・正見(しょうけん):正しいものの見方をする事
・正思(しょうし):正しく意欲をもつ事
・正語(しょうご):正しい言葉遣いをする事
・正業(しょうごう):正しい行いをする事
・正命(しょうみょう):正しい生活をする事
・正精進(しょうしょうじん):正しい努力をする事
・正念(しょうねん):正しい気づかいをする事
・正定(しょうじょう):正しく集中する事

十悪:身3つ,口4つ,意3つ(身三口四意三)の計10種類の悪事
身三・・・身業の3つ
・殺生(せっしょう):生命を断つこと
・偸盗(ちゅうとう):財物を盗み取ること
・邪婬(じゃいん):婚約していない人との性交渉を行うこと
口四・・・口業の4つ
・妄語(もうご):言葉によって他人を誑たぶらかすこと
・両舌(りょうぜつ):仲違いさせる発言をすること
・悪口(あっく):他人に罵詈雑言をあびせること
・綺語(きご):真実に反して飾り立てること
意三・・・意業の3つ
・貪欲(どんよく):満足することをしらないこと
・瞋恚(しんに):自分の心に逆らうものを憎み怒ること
・邪見(じゃけん):道理を無視する誤った捉え方をすること

原:無為都雖楽 放逸輩不遊
現:心の底から楽しめる場所があっても,放逸の者(身勝手な人)はそこには行けません。

原:敬老如父母 愛幼如子弟
現:老人を敬うことは父母を敬うことと同じであり,幼ない者を愛することは子や弟妹を愛することと同じです。

原:我敬他人者 他人亦敬我 己敬人親者 人亦敬己親
現:他人を敬えば他人から敬まわれ,他人の親を敬えば他人も自分の親を敬うことでしょう。

原:欲達己身者 先令達他人
現:自分が立身したいなら,まず他人を立てなさい。

原:見他人之愁 即自共可患 聞他人之嘉 則自共可悦
現:悲しんでいる人がいたなら,ともに憂いなさい。喜んでいる人がいたなら,ともに悦びなさい。

原:見善者速行 見悪者忽避 
現:他人の善行を見たなら自分もそれを速やかに行い,他人の悪行を見たなら自分はそれを避けなさい。

原:好悪者招禍 譬如響応音 修善者蒙福 宛如随身影
現:悪を好む者は禍を招きます。それは,まるで鐘を打てば響くのと同じです。善行をする人には福がやってきます。それは,まるで影が付いてくるのと同じです。

原:雖冨勿忘貧 或始冨終貧 雖貴勿忘賤 或先貴後賤
現:裕福になっても貧しい時の気持ちを忘れてはいけません。裕福であったのに貧しくなってしまう事もあります。高貴であっても賤しい立場を忘れてはいけません。高貴な身分であっても賤しい身分になってしまう事もあります。

原:夫難習易忘 音声之浮才 又易学難忘 書筆之博芸
現:習うのが難しく忘れやすいのは,音楽のような芸の才であり,学やすく忘れにくいのは,読み書きのような教養です。

原:但有食有法 亦有身有命
現:食べることで体がつくられ,体があるから命もあります。

原:猶不忘農業 必莫廃学文
現:農業を忘れてはなりません。必ず学ぶことに努めなさい。

原:故末代学者 先可按此書 是学文之始 身終勿忘失
現:そのため後世の学問に励む者は,まずこの書を読んで考えなさい。
それが学問の始めであり,終身まで忘れてはならないことです。
【実語教や童子教を学んでいない現代人は,どれほど学問に励んでも人としての基礎が欠落しているため,目の前の金や権力に執着してしまい,目に見えない本当に価値あるものを見過ごしてしまうのでしょう】

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いかがだったでしょうか。
最後の一文にあるように,実語教を最初に学ばせるのは,より高度な学問を習得していくための人としての基礎だからです。
江戸やそれ以前の子供たちは,幼少期にこれを諳んじることができるまで繰り返し,師匠や塾長がその意味を教え,この実語教を通して仏の教えや人として正しい生き方を学びました。

我々は,七覚支や八正道などの仏教の教えも,神語などの随神の道も,日本書紀などの国史も,全く学校で教わることなく,自ら求めなければ日本精神を理解する機会さえ失われてきました。

これこそ,GHQ,ワシントン,そしてその背後にいる"彼ら"が行ったWGIPの成果です。

しかし,「日本人洗脳工作の根源(GHQとWGIP)」にも書いているように,今更GHQに文句を言っても仕方ありません。今もGHQの洗脳工作を実行している政治家,官僚,文科省,日教組を責めても何も変わりません。どっぷり洗脳され,自分たちが反社組織だという自覚すらないのですから。
暴力団に「シャブを売るな」と言っても,それが彼らの商売なのだから聞くわけがないのと同じです。

なら,我々がシャブを断って麻薬中毒を克服すればいいだけです。
自ら洗脳を解いて,GHQが封印した日本精神を学び直せばいい。
文科省や日教組に自分たちが反日組織だと気付かせ,財務省や厚労省が好き勝手出来ない社会を作ればいい。

そのためには,まずは,強制的に歴史を奪われ,80年にわたり洗脳され蹂躙されてきたことを自覚しなければなりません。
そして,奪われた正しい歴史を学び,我々一人ひとりが日本の未来を背負っているという自覚と責任を持ち,祖先や子供たちに恥ずかしくない生き方をしなければなりません。

今の腐敗した社会にどっぷり浸かって生きてきた者が,自分を律して正しく生きていくということは簡単ではありませんが,古来の日本人が普通にできていたことが今の我々にできないことは無いはずです。
子供たちの未来を思ったらシャブを断つよりずっと簡単ですよ。シャブの経験はありませんけどね。


今回,実語教の解説記事を書くことで,あらためて一行一行の意味を深く考える良い機会となりました。

「人学ばざれば智なし 智なきものは愚人なり」

愚人とならぬよう学び続けなければなりませんが,学んだことを実践し,より多くの方に届けていかなければ,学んだ意味がないということも実感しました。

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