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祈らない宗派「浄土真宗」とメンタルヘルス

災難が来ないように祈るのが信心ではない
どんなことが起きても
引き受けていける力を得るのが信心である

皆さんはこの言葉を読んで、意味をどのように捉え、何を思いますか?
今回は、この言葉の意味とメンタルヘルスとを関連付けてお話をしていきます。もちろん、宗教勧誘ではありません(笑)ひとつの考えとして読んでいただけると幸いです。

この言葉との出会い

私はあるお寺で行われた御命日法要【報恩講(ほうおんこう)】で、この言葉と出会いました。報恩講とは、浄土真宗の宗祖「親鸞」に感謝することを目的として、その祥月命日の前後に営まれる法要のことです。なぜ、報恩講に参加したのかというと、親友の父親が浄土真宗の僧侶として報恩講で講話をするため、それを聞きに行きました。
私は宗教に関しては無関心であったため、初めはそれほど期待をしていませんでした。しかし、私はある言葉を聞いて浄土真宗に魅力を感じることになりました。その言葉が、

災難が来ないように祈るのが信心ではない
どんなことが起きても
引き受けていける力を得るのが信心である

(意味)
人生は幸せなことばかりではなく、不幸せなことも必ず起きる。
そのため、悪いことが起きないようにと祈るのではなく、悪いことが起きてもそれを受け入れて対応していく力を身に付けることが大切である。
それが、浄土真宗を信じる心である。

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言葉から感じたこと

この言葉を聞いて私が感じたことは大きく2つあります。
1つ目は、私は宗教に対する固定観念が崩壊したことです。浄土真宗は「神頼みをしない」と言っているのです。私は全ての宗教は神頼みで非科学的なものだと考えていました。しかし、全てがそうではなかったのです。言葉の意味からもわかるように、むしろ浄土真宗は根拠をはっきりと持ち、非科学的なものは否定している宗派でした。
2つ目は、この言葉が私の考えと似ており、親近感が湧いたからです。私は「変えられないことは受け入れて、変えられることに全力を注ごう」という考えを持っています。そして、この考えはこの言葉と似ている部分があります。この言葉の意味をもう一度考えると「いくら祈りをささげても、人生は不幸せなことに直面することが必ずあるのだから、祈るくらいならそれを受け入れて乗り越えれるように、そして次に生かせるように準備をしたほうが現実的だ」と捉えられます。つまり、「祈ることで変えられないことを変えようとするのではなく、変えられることに目を向けよう」とする部分が似ていると感じました。ここに私は親近感を得て、この言葉に魅かれていきました。

厄は存在するの?

浄土真宗は非科学的なことは否定する宗派ですので、厄に対しても否定的でお祓いもありません。その理由としては、厄というのは不幸せなことに対する人間が生み出した責任転嫁の矛先であるからです。不幸せなことには原因があるのにもかかわらず、そこに目を向けず、厄に責任を押し付けているとしています。私もこの理由には同意です。例えば、厄年だからその年の人々は等しく不幸せになるのでしょうか?いいえ、厄年関係なく1年には変わりありません。厄払いをしたらその年は幸せな1年になるのでしょうか?いいえ、不幸せなことの原因の根本的な解決にはなっていません。
中には、厄年だから不幸せなことばかり起きていて落ち込んでいる人もいるかもしれません。そのような人にはこう質問したいです。
・その年は本当に不幸せなことばかりでしたか?
・厄年だから、不幸せなことばかりを気にして、幸せなことに目を向けられていないのではありませんか?
・不幸せなことが起きたのも厄ではなく何か他の原因があったのではないですか?
ここからわかるように、私たちは都合の悪いことを厄という目に見えないものに責任転嫁して、都合の良いことばかり考えています。普通に考えたら、厄がないことくらいわかります。しかし、人間は不安を煽られると信じてしまいます。そこからお金を巻き上げる宗派があることも事実です。

メンタルヘルス

浄土真宗の観点からメンタルヘルスを考えると、将来の不安に対してそれが起きないようにと祈ってばかりだと、余計に不安が大きくなります。そして、不幸せなことが起こると厄に責任転嫁して終わりです。これでは成長できず、同じことを繰り返してしまいます。ですので、不幸せなことはいつか必ず起こることを受け入れて準備することで、不幸せなことが起きたときのメンタルにかかる負担は最小限に抑えられます。また、厄に責任転嫁せずに、原因に目を向けて成長していくことが堅実です。これは簡単にできることではありませんが、意識するだけでも違うと思います。

最後に

今回、私にとって報恩講で講話は、自分を改めて見つめなおすきっかけとなる非常に貴重なものでした。私は知識のひとつとして仏教を学ぶことで、人生の負担が少しでも軽減すると考えています。誘ってくれた親友と、講話をしてくれた親友の父親には感謝してもしきれないです。ありがとうございました。

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