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恐い夢をみた朝は「こわかった」と言いたい

「あっ、ああっ!」
…ハア、ハア、ハア…

宙を待った右手が布団に叩きつけられる。頬に涙が、首を冷や汗が伝っている。また、母が死ぬ夢をみた。4月に入ってからもう何回目かわからない。

部屋がほの明るい。ベッドのすぐ傍にかかっているカーテンが、すこし光を含んでいる。
iPhoneに表示された「5:03」を見て、私は深く息を吐いた。今日も22時過ぎまで働くことになるだろう、今動き始めたら夜までもたない。でも、二度寝するのも恐い。

考えたくもないが、現実問題、父さんとは死別しているので、もし母がいなくなったら私らは孤児になってしまう。
いや、もう弟も妹も成人しているから、みなし「児」ではないのかな、なんて、どうでもいいようなそうでもないようなことを考えて、悪夢を消し去ろうとした。

壁にペロンと貼ってある、父さんの写真を見る。
「ねぇ、まだ連れてかないでよ」

遺影っぽくなくてイイでしょ

逝ってしまったのは父さんの勝手でしょう。弟はまだ就職していないし、妹はようやくハタチになったところ。ふたりとも相変わらず心配で、手がかかるんだよ。
ひとりでも欠けたら、またこの家族はダメになる。遺された私たちが、今日までどんな気持ちで生きてきたと思ってるの。この10年と同じかそれ以上の苦労をするなんて、二度と御免だからね!

死にたくて死んだんじゃない、父さんに怒っても仕方ない、悪夢は夢で現実じゃない。ぜんぶわかっていても、なお文句が出てくる。
怒っていないと再び涙を流してしまいそうだった。今泣いたら会社へ行けないからと自らを正当化して、心の中で繰り返し悪態をついた。


「親を亡くした私」と、自己陶酔や憐憫に浸っているわけではない。
悲劇は観るだけだから美しいのだ。渦中に放り込まれたら、とても綺麗でいられない。

心配も同情も要らない。誰かひとり、たまに一緒に寝てくれる人がいればいいと願って、19〜23歳までの間、何人かの男性と付き合い/別れを繰り返した。
そしてこのほどついに、その「誰か」は父さん以外にいないのだとわかってしまって、本気で「私は生涯孤独かもしれない」と思った。

私が心身を預けられるのは、父さんしかいないんだ。

この事実は、私を激しく打ちのめした。

私には家族も親友もいる(かつては恋人もいた)。みんな大好きで大切で、信じている(いた)が、それらの要素はどうしたって、私が彼らに寄りかかっていいこととイコールにはならなかった。

この世の誰にも寄りかからず生きていくために、私は強くなるしかなかった。誰にも同情されないほどの明るさを持ち、安直につけ込まれないよう信念を磨いた。
常に発光することを心がけ、やがて私は「強いね」「隙がない人」と言われるようになったが、私自身、ちょっとした思い違いをしていたかもしれないと今になって思う。

私は、硬くなってしまっただけなのかもしれない。

だって、24歳になった今も、恐い夢をみた朝は「こわかった」と言いたいと思う。
こんな小さな弱音すら「出ない」のではなく「吐けない」ようになってしまった。それは、強くなったということではないだろう。
私は、人前で泣かない強情さや、舐められないための強気な表情を身につけたに過ぎない。強さを装うための技術が向上しただけであり、それが自分を苦しめているところを見るに「硬くなってしまった」と表した方が正しいと思った。


父親は偉大だ。偉大を辞書で引くと、下記の通り解説がある。

い‐だい〔ヰ‐〕【偉大】 の解説
すぐれて大きいさま。りっぱであるさま。

goo辞書

「存在の大きさ」とは、不在をもって増す。
がっしりとして頼り甲斐のあった父さんが力なく倒れているのを発見してから今日まで、その存在は私の中で膨張し続け、同時に、傍にある私の心は収縮していっている。

当時15歳だった私は、今年25歳になる。もはや少女でも、親の寵愛を受ける歳でもないが、それでも父さんが恋しい。
今後どれだけ心が成長しても、見るからに歳を重ねても。少女期に消化しきれなかった「幼心」は、癌として在り続けるのだと思う。


どうにかなってしまいそうで、柳美里の「命」を久しぶりに読み返した。

光を身篭りながら、絶望の手綱を握って離さない彼女。その、出口のない物語を追ううち、心が落ち着いていった。本書のあとがきには、次の一文がある。

わたしはこの〈物語〉を書くことで、生きていく覚悟を固めたかった。

柳美里「命」

(こんな安い言葉で触れるのは申し訳ないが、端的に言えば)近しいものを感じた。

父さんは還ってこないし、私は一生彼の不在を心に抱えながら生きていくし、そこにある感情を(家族を含め)私以外の人に理解してもらうことなど不可能だ。
私が今後も生きていくなら、ぜんぶ「仕方のないこと」として受け止め、流せるようになるほかないと、もうずっと前からわかっている。

それでも私がたびたび父さんのことを書くのは、生きていく覚悟を固めるための作業なのかもしれないと思った。
18歳から父とその死に接した文章を書いてきたが、24歳になってもなお、このテーマで優れたものを書けたと思えた試しがない。父について触れる時必ず、私の文章はエッセイの体から崩れる。

ああ、これは泣き声だったんだ。

これまで重ねてきた幾多の駄文は、書く時間は、人前で泣けない女になってしまった私が、涙を流さず生きていくために必要なものだった。
たくさんの夜が点となって、今日までを紡いできたのだとわかった瞬間、すこし皮膚が柔くなったように感じた。

抜け殻

10年前からみている恐い夢は、生涯続くだろう。ある種の諦めを持って、共存していくしかないのだ。
しかしいつかこの夢から覚めたら、その朝こそ声に出して「こわかった」と言おう。私は、希望と言うにはささやかな願いを抱き、もう一度眠ることにした。

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