見出し画像

スキップに一段飛ばしの人生

どうしても許せないことがあった。
しかし父の死を起点として、悲劇を喜劇に変える技術ばかり発達させてきてしまった私は、それを飲みの場で、笑い話として披露したらしい。エピソードトークのもととなった出来事は本当に笑えないことで、だからこそ余計にヘラヘラ話したのだろうと想像がつく。
推量ばかりなのは覚えていないからだ。さほど弱くないはずなのに、該当の話をしていた時の記憶がすっぽり抜けている。恐ろしいことよ。

翌日上司からみっちり搾られたが、有難い説教だったのでここに留めておく。

「話すなとは言わない、でも話すなら真剣に話せ。
あなたの悲しみを、軽く扱うな。」

悲しいほど、苦しいほど、zipファイルのごとく軽量化して、小話として共有してきた私には、目から鱗の言葉だった。

これまでずっと「そうでもしないと生きていけない」と思っていたけれど、それで紛らわせられるのは一瞬であって、むしろ「そうしてきたからこそ」処理しきれなかった(圧縮したはずの)感情が、知らず知らずのうちに散り積もっていたのかもしれない。
それが私に、形容し難い「生きづらさ」をもたらしていたのだと考えると、合点がいく。

そしてもうひとつ、なぜこんな不健全な状態に置かれないと、本音が出ないのか。あるいは、自ら不健全な方へいき、本音を出してしまうのか。

A.子どもをやりきれなかったからではないか、と仮説が立った。

父が死んでからのことはもちろん、それまで母から「ふたりの秘密」として、父の病気やそれに付随する苦労話を聞かされてきた時間も。色々な要素があまりに私を「しっかり」させてしまったし、私はしっかりすることで評価されてきたので、なにも異常だと思わなかった。

どの年齢においても言われた「大人っぽいね」は、裏返せば「子どもらしくないね」だったのだと、今更気づいた。

ああそうか。子どもの頃に、きちんと子どもをやりきれなかったから、今おかしな形で幼さが出るのだと、仮説にたどり着くのである。
あゝ、悲しいことも子どもらしさも、スキップに一段飛ばしの人生。
当たり前にいるはずの人を失うと、本当に大変だね。

でも今年で25歳とすっかり「いい大人」になってしまった今、子どもをやるのは不可能だ。
不完全燃焼で、きっと10年分くらいは余ってしまっている「子ども」の部分を、どう解消させていくのか。もしくは完全に封印する方法はあるのか。

ひとつわかったと思った途端、次の壁にぶつかり、またしても眠れない夜。あーあ。ゆうべも3時間しか寝られなかったのに、月曜からこんなことで乗り切れるだろうか。
ここはひとつ、誰かに話してみるべきかもしれない。笑い話ではなく、真剣に。

今でも、会いたいと思っちゃうよ

お読みいただきありがとうございます。 物書きになるべく上京し、編集者として働きながらnoteを執筆しています。ぜひまた読みに来てください。あなたの応援が励みになります。