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鎮守の杜と災害大国から見たSDGs(Ⅱ)


「鎮守の杜」と聞くと,一般の方は【神聖】なイメージを持つのではないだろうか。一方で,神職の方々は,「落葉掃きが大変」「台風で社殿などに木が倒れないか心配」など,いわゆる【厄介】な一面を持つ方もいらっしゃるかもしれません。今回より三回にわたり「鎮守の杜」について特集するが,皆様の知らない「鎮守の杜」の歴史・機能・創り方・管理方法について紹介したいと思う。

全国にある鎮守の杜

 まず、生態学的な視点から見た例として大分県宇佐市に天平五年頃(七三三年)より鎮座している宇佐神宮の「鎮守の杜」を紹介する。宇佐神宮の「鎮守の杜」は学術的には「ルリミノキ−イチイガシ群集」という森の種類に該当する。これは簡単に言うと、「ルリミノキという特徴的な植物が出現するイチイガシの森」という意味で、実はこの森の種類は伊勢の神宮の宮域林と同様となる。例えば、伊勢の神宮の内宮の参道を歩いていると大きなスギ(杉)が数本列をなして聳え立ち、【神々しさ】を感じさせるが、あの場所は人が何も手を加えなければ「ルリミノキ−イチイガシ群集」の森が三百年後に自然に成立する。冒頭で紹介した宇佐神宮の「鎮守の杜」はほとんど人の手が加えられていない自然林の例としては、日本において非常に数少ない貴重な「鎮守の杜」となる。もし、宇佐神宮周辺において自然林に戻す場所があれば、宇佐神宮の「鎮守の杜」を参考にすることで将来メンテナンスがいらず、天然更新する持続可能な森をつくることができる。先月号でも触れたが、スギやヒノキ自体は経済林として重要な天然資源であるが、人が手を入れなければいずれは朽ちてしまう運命にある。

宇佐神宮のイチイガシ

鎮守の杜の防災的な機能と役割

 日本は森の種類だけでも約三百種類ほど存在し、草原や湿原なども入れると千近い種類が存在する。その地域に本来生育する森の種類がわかることで、森を復元するための設計図が書ける。日本では良質な森が残されている場所の一つとして「鎮守の杜」が挙げられる。いわば、「鎮守の杜」は日本の自然を復元するための母体である。また、その土地本来の木々で構成された「鎮守の杜」は台風・地震・津波・火災などあらゆる自然災害に強いことがわかっている。逆に園芸種や外来種は自然災害に弱い傾向があり、種を落としたとしてもその土地の気候・立地条件に合わなければ枯れてしまう。その一例として、【令和元年房総半島台風】では広葉樹のクスノキや針葉樹のヒマラヤスギ(特に約五十年生)、スギなどの倒木被害が確認された。一方でその土地本来の「鎮守の杜」(高木はドングリをつける木々が多い)では枝葉は落とすものの、幹から折れるケースは少なかった。なぜ「鎮守の杜」は自然災害に強いもしくは耐久性があるのか、それを力学的に証明することは難しいが、植物という「生物」が現代までに生き残った歴史からわかることがある。それは、植物の寿命は何百年と長く、植物たちにとって【自然災害は織り込み済み】という事である。なので、本当の意味でその地域を守るためには「鎮守の杜」が不可欠なのである。
 前述で台風の被害にあった例として「クスノキ」を挙げたが、これはクスノキの自生地が台湾であるといわれているからである。クスノキ自体は歴史も古く、その地域の御神木として参拝者に親しまれている場合が見られる。そのため、ここでは被害の一例として挙げたが、決して批判している訳ではなく、大事なのは「共存・共栄」することだと考えている。クスノキは薬として、樟脳や強心剤として様々なものに利用できることから日本では重宝されてきた歴史がある。クスノキの名前の由来や日本書紀での記述などクスノキに関する話だけで特集ができるほどなので、今回はここまでとする。

 次に【平成二九年九州北部豪雨】の自然災害では、スギ・ヒノキを中心とした人工林が被害にあったが、その土地本来の木々は自然災害を耐え抜いた。

平成29年九州北部豪雨で生き残ったその土地本来の木々


多様な種類が森を構成していることで地上の森だけでなく、地下の森も豊かになるため、土砂災害などに対する防災・減災効果を発揮する。それは根っこ同士が手を繋ぎ合うことで、土壌中の緊縛効果が保持されるからである。

根が連結することで土中の緊縛効果が高まる

 一方、多様性の少ない森では地下の森も乏しいため、急な豪雨などで災害が発生する可能性がある。先月号でも触れたが現在、日本では鹿の食害が問題になっており、天然更新が出来ない地域も多くある。なので、このままでは地上の森も地下の森も多様性が乏しくなり、各地で災害が起きる可能性がある。皆様の近くにある「鎮守の杜」の現在の状態を知るだけでも、将来を考えるうえで非常に重要である。また、その土地本来の木々であれば必ず全ての自然災害に耐え抜く訳ではないが、ヒマラヤスギのような樹種に比べると遥かに防災・減災効果を発揮すると言える。また、スギやヒノキ、ヒマラヤスギなどの針葉樹の落ち葉は広葉樹に比べ分解しにくいので、土に還るのが遅く循環を促すには時間がかかる。「鎮守の杜」を健全かつ強固なものとするためには広葉樹を主軸とするべきである。

 ここまで書くと、「鎮守の杜」は広葉樹の方が望ましいと思われるが、当然ながら例外もあることを忘れてはならない。例えば、日光東照宮や伊勢の神宮のように長年にわたり大木のスギやヒノキで保たれた景観には、歴史や伝統、【神々しさ】をも感じる。

伊勢神宮

要は人が手をつけるエリアと手をつけないエリアで「棲み分け」を行い、共存・共栄することが必要かつ各々の樹種の特性を知ることが重要であると考えられる。神社や植物の時間軸は人間の時間軸と同じではなく、何百年という時間単位で先を見据えて考えなければならず、そのためには神社と密接な関係にある「鎮守の杜」を少しでも知ることで先が見えてくると考えられる。自然災害に対抗するために、何十メートルものコンクリートの壁を社殿や境内に建てるようなことは考えられない。そんな事をすれば日本が今まで築き上げた【何か】を捨てることになる。「形あるものいずれは朽ちる」、それがこの世の原則ではあるが、植物は朽ちた先に次の世代を見据えている。自然(災害)と共に生きる、その一つの知恵が先人達の努力もあって「鎮守の杜」に残されてきたと捉えることもできるのではないだろうか。

あなたの周りの鎮守の杜は大丈夫?

 今までの話から皆様の周りにある「鎮守の杜」が災害に強い森、もしくは持続可能な状態にあるのか気になるのではないかと思う。また、例えば境内にヒマラヤスギが生えている場合は現段階で伐採した方がいいのか、アジサイやサクラ、モミジなどは必要ないのか、様々な疑問が浮かんでくると思う。それらを解決するためには前述した「棲み分け」による考えが必要になってくるが、ここでそれについて触れたいと思う。植物(森)の機能は【生態・景観・防災】の三つに大別され、それぞれ重なる場合もあるが、まずはその植物がどの機能に入るか考えていただき、それが何十年後まで続いているか想定することで多少は整理がつくと思う。そして、そこから「鎮守の杜」や樹木との付き合い方が見えてくるはずである。命は命の上に成り立っていることを忘れてはならず、目の前にある【命】とどう共存・共栄するのか、そこに本質が詰まっている。

次回

 次回は【東日本大震災】の津波を耐え抜いた「鎮守の杜」の紹介と「鎮守の杜」の創り方や過去の事例、世界から見た日本の森づくりや「鎮守の杜」に関する意見・感想を交えながら述べたいと思う。

(Ⅲ)へつづく

※このnoteは月間若木1月号(令和4年)より加筆修正したものです。

<著者>
株式会社グリーンエルム代表取締役社長
里山ZERO BASEプロジェクト代表
林学博士 西野文貴

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