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さとうの旅は、終わらない。

2022年7月、僕は3年と少し住んだ京都のアパートを引き払った。がらんとした部屋で、これから先待ち受ける旅がどんなものになるのか想像してゾクゾクした。
そして半年ほど経った2023年1月、僕は何故か静岡のホテルに住み込んで毎日狂ったように働き続けていた。寿司を300カン握り、カニをひたすら洗って、コメ20升を研いで炊く。年末年始の猛烈な仕事量を殺伐とした職場でこなしながら、どうしてこうなったのか振り返ってみた。


毎日浜名湖を眺める。

時は戻って2022年11月。僕はルアンナムターのATMでお金をおろした後、所持金が10万円を切っていることに気づいて冷や汗を流した。まだ航空券も取っていないというのに。何とか自転車でタイを南下して、バンコク発のタイエアアジアに飛び乗った時には所持金は八千円だった。
タイからの飛行機が遅れて、福岡から成田のピーチの飛行機に乗り継ぐことに失敗して、僕はひとり福岡の街に放り出された。たまたま同じ境遇のネパール帰りのティックトッカー(フォロワー8万人)と仲良くなってうどんを奢ってもらった。

彼はうどんが届いてからもずっとインスタの更新をしていた。

南国仕様の服しか持っていなかったので、レインジャケットを着て寒さを凌ぎ、福岡の街を歩く。とにかく寒いし、日本語が聞こえてくるけれど誰も僕のことを知らない疎外感で、外国では感じなかった猛烈な寂しさを感じ、『そうだ、京都帰ろう』と決意した。
福岡から京都の10時間の夜行バスではぐっすりと寝られた。ラオスのはちゃめちゃな振動のバスに比べれば天国のようなものだ。本当に。車内も静かで、臭くなく、これまでの移動が大変だったせいで基準が変わったなあと思った。

夜行バスに乗った時点で所持金は底をついていた為、急遽古巣のINDIAGATEに連絡を取って、5日間連続で働かせてもらうことにした。本当にありがたい。
帰国して、日本語も通じるし野犬もいない環境だから何でもできるような気がしていた。自分が以前よりも強い熱を帯びていることが自然と分かった。

ひたすらに豚足を煮込んでいく


16日金曜日の朝に京都に着き、その日の午後にはもう働き始めていた。
19日、20日にはINDIAGATE2階の場所を借りてスパイス余韻としてラオス料理カオカームーを提供することになった。現地で食べた記憶を頼りに、一回の試作で味を掴んで本番で決めないといけない。ヒリヒリするスケジュールだ。
東南アジアの食堂らしく、細かいことに拘らずおおらかにやっていこうと意識したけれど、どうしても料理を作って出すときには神経質になってしまう。

久しぶりに食べたINDIAGATEのビリヤニが以前よりもさらにおいしくなっていることに感動し、成長しているのは僕だけではなく、こうたろうさんもだったんだなとしみじみとする。
営業もドタバタながら無事に終わった。
中でもラオス料理の専門家、小松さんに「いうことないカオカームーです」とお墨付きをいただけたのも最高に嬉しかった。

カオカームーを売り捌いたお金を懐に抱えて、いよいよ東京の実家へと帰る。
しばらくは実家でのんびりしようと思っていたのだが、自分がそこまで疲れていないことに気付いてしまった。スパイス余韻で、山小屋で、東南アジアで、常に自分の容量を超えてエネルギーを出し続けた結果だ。
ということで12月23日に実家に帰って、3日後には静岡のホテルの厨房に向かっていた。自分のスピード感に圧倒されながらも、次の戦いがどうなるかワクワクしていた。

仕事の姿

ホテルの厨房は激しかった。毎日300人のお客さんが訪れるので、大量に準備をし続ける必要があった。職場の雰囲気も悪く、新入りのおっとりした社員さんがかなりキツく当られ続けていた。
そんな職場で7時から21時まで全力で働き、死んだように寝る生活を繰り返し、今に至る。働き始めて3週間で職場の雰囲気はかなり良くなり、自分の仕事を自分の裁量でこなすことが認められたので精神的にもかなり楽になった。いびられ続けていた社員さんは先日会社を退職した。
日本の社会の問題点がぎゅっと詰まったような職場で、それでも自分なりにベストを尽くして働き続けているうちに信頼が得られてきたのはとても嬉しい。
本来1月9日までだった契約期間も、僕の仕事ぶりを見て1月末まで延長された。
きつい分見入りはいいので、京都に帰って新居で生活を始められるようにガンガン稼いでいこうと思う。

それでも、厨房と家を往復する生活でラオスの市場の香りが、ベトナムの無秩序な原付の群れが、タイのおばちゃんの優しさが、とても懐かしくなることがある。そんなときに、ああ僕の旅は、終わってしまったんだなあと実感する。
僕がひたすらに降りかかる仕事をこなしている時も、ラオスの犬は変わらずに食堂の前でぼーっとしているのだろう。その事を考えると心が軽くなる。
無事に日本に帰ってきました。学生生活最後の一年間を京都で楽しく暮らしていこうと思います。皆さんたくさん遊んでくださいね。それではまた。

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