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母が私の文章を読んで言ったこと。

2019年の干支、わかりますか?
はい。イノシシです。
それで沖縄で飲みながら、イノシシをみんなで描いていたんです。私はいわゆる「画伯」なので、↓こうなりましたw

あ〜あ。もはやホラー、という感じなのですが。
こんな絵を見たら、東京でひとり大掃除をしている母もちょっとは元気が出るかなぁと思ってLINEで送ったんです。母は絵が上手なので(私にはまったく遺伝しなかった…)、ぷぷぷっと笑って気が楽になったらいいなぁと。

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わたし「来年の干支、描いてみたよ」

(しばらくして)

母「あなたはあくまで自分の目を信じるのね。まぁそうでないと、良い文は書けない。私にはない才能だね。とし(弟)も私と同じ。優秀だけれど、天才にはなれないのよ」

わたし「い、いや。私はただ単に絵が下手くそなだけでしょ。母は絵の才能があるじゃないの」(動揺)

母「私はとしと同じ。文才は二流の人。理解力はある」

わたし「理解力があるから絵もうまいんだろうね」

母「うん、自分の目に拘らずにみられる。でも、自分の目を通してしか見ない人が芸術家なのよ。なぞることは得意でも、それだけじゃだめなの」

わたし「私は芸術家寄りなの><!? 母がそう思っていたとは知らなかった」

母「そう。だから、自分が思っているより取り扱い注意なんだよ」

わたし「ところで、私の文章、最近読んだの? 小学校の頃の作文とかで思ったの?」

母「小学校の時のも、今のも読んだわ。文体があるのよ。独善的にならないようにといっても無駄なので、どうぞ自分の思うまま書くといい」

わたし「もっと優しい癒し系の文章を書きたいんだけれどね」

母「あはは!」

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ちょうど、さとゆみさんの「文体」についての考察を読んだばかりで、
「たしかに私は作家の桜木紫乃さんの文体が好きだから、新しい作品が出ると買っちゃうんだよね。ストーリーで選んでいるかというとそうじゃなかったわ」などと思っていた時なので、母からのLINEはズシンときました。

「文体は生き方を規定するもの」。
母もまた、そんなふうに文体を捉えていて、私はゆみさんのnoteと母に脳を叩かれて、やっと文体について真剣に考えはじめたのでした。

そして、文章を書く中で、母からいわれた「独善的」という言葉が今後私に重くのしかかってきそうです。(といっても、「気にしても無駄」ともいわれているんで、重く受け止めても仕方ないのかもしれないのですが。)
あと、「自分が思っているより取り扱い注意なんだよ」についても。私を支えてくださっているみんなに感謝をしなければいけませんね。ありがとうございます。

母親という生き物は、ずっと子どものことを細かく見ているものなのかもしれない、そんなふうに思ったクリスマスでした。メリークリスマス。


いつもありがとうございます!スキもコメントもとても励みになります。応援してくださったみなさんに、私の体験や思考から生まれた文章で恩返しをさせてください。