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”女子学生差別”は文系大学院でもあったカモ

東京医科大学の女子受験生差別問題が、連日ニュースを賑わせていますね。

このニュースを見て、「あぁ…まだこのレベルか」と思い、自分自身が大学院を受験するときのことを思い出しました。私は大学卒業後、教育系の大学院受験を考えていました。そのため、受験に際して大学院の教授を訪問し話を聞くということをしていました。
学部からそのまま院に上がるのであれば、自身の付く教授のことはよくわかります。しかし、他の大学院に進学しようと考えた場合、専門性や相性が合うかはわからない。
そこで、受験したいと思っている教授のゼミ室を訪問するというのはよくあることなのです。

私は教育法学を学びたくて、学部のゼミの教授に相談したり自分で調べたりして、他大学院の教授のもとを訪問することに決めました。
アポを取り、当日訪れると、耳を疑うようなことを言われます。

「文系の女子大学院生なんて、
モラトリアムの延長をしたいだけなんだから、
気楽にやりなさい」

この教授は私に院に入ってほしくなくてあえてこんな発言をしているのか?と、私はマジマジと彼の顔を見ました。しかし、どうやらそうではないよう。むしろ、いいアドバイスをしていると思っている節すらある。

いったい、これはどういうことなんだろう?

差別的な発言をされているのだということに、当時の私はなかなか気づけずにいました。帰りの電車のなかで、「文系の女子大学院生なんて、モラトリアムの延長をしたいだけ」という言葉をずっと反芻し続けました。

それからというもの、自分は大学院という場で、そこまで蔑まれるような存在なのだろうか?と考え続けました。
たしかに、「大学4年間で研究に打ち込んだから、それを院に進学して掘り下げたい」なんてモチベーションはありませんでした。バレーボールと女子サッカーのサークルを掛け持ちし、毎日運動しては、飲んで食べてしていた4年間。
中高の教員免許と学芸員の資格と、日本語教員の養成課程を取っていたので、授業も課題もサボらなかったが、「深くなにかを学んだか?」と問われると、そんなことはない…。

しかし、あれやこれらと忙しい大学生活を送ったからこそ、あと2年間専門的な学びをしたいと思ったのでした。「あなた、なにを学んできたの?」といわれた時に、自分の深めた領域についてきちんと語れるようになりたいと考え、大学院受験を決めました。

そんな、私は「モラトリアムの延長線」といわれても仕方ないのだろうか?

私はこのモヤモヤを、自身の大学の教授にも、両親にも相談することができずにいました。大学院受験に向けて、1ヶ月間に2日しか外出しないという引きこもり勉強をしているときも、頭の中ではその発言がチラついていたのです。

いまならわかります。
私がひとりでこの問題を抱え込んでしまったのは、視野が狭かったからです。この発言は、「自分が言われた」と捉えるべきではなく、「女子学生全体が言われた」と捉えるべきだった。そうすれば、明らかに”おかしい”ことがわかります。

女に生まれることは、自分の未来を汚されるほど罪深いことなのでしょうか。性別という見えない枠をつくるのは、もうやめにしませんか。私たちは、もう十分たえてきました。いまの高校生や大学生に、「女子だから」と意識させてしまったら負け。そんなふうに思う大人がつくる世界こそ、私が生きていたい世界です。


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