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ストレートに書くのは、悪手を打つことになりかねませんが・・・

基本、煽る事は書かない

お伝えする時、煽るような事を発信することは、煽られる方々を集めることになります。

特に恐怖を煽る事は、最も効果的な手法なのかもしれません。

人間の心理を巧みに利用するのがマーケティングですが、自覚の価値をわかる方を集めるためには、それは悪手になります。

また、自覚の価値を謳って、集める事も悪手になりやすい事でもあります。

それを踏まえて・・・

自覚は、すべての修業を卒業した方が人間として最後にたどり着く理解です。

自覚をするなら悟りへの道が一気に開けるのも当たり前な事でもあります。

整えるのは、自覚までの道であって、自覚を理解でいるようになった時、成長は青天井となり、自覚はどんなに進化しようと必要なものと気付くはずです。

という事で・・・

自覚の奥行、価値をわかる方は人間(地球人)としての最終段階を迎えた方に限られます。

自覚の道に入ったとしても、そこが整っていないなら挫折もしますし、自覚に価値を感じられなくなります。

わたしは、自覚の道を進もうと決めた時、すべてを捨てました。

捨てれば捨てるほど、軽くなり、認識の広がりや、常識を超える事を知ったからでもあります。

すべての中には、人間関係やお金も、もちろん含まれています。

捨ててみてわかる、本質も見えるようになります。

わたしが捨てるのは、自覚を実践している方々が捨てなくてもいいようにという意味もあります。

自分が実践してみて、その先に通じる別の道を見つけるなら、わざわざ捨てさせる必要はないわけです。

捨てた方が軽くなって早く進みますが、なかなかそういうわけにもいきません。

なるべく自覚のすそ野を広げるのもわたしの役回りだと考えています。

繰り返しになりますが、自覚を理解できる方は人口の1%未満です。

その方々が自覚に触れる機会をつくる為にSNSなどをやっています。

独学で自覚を実践する事

youtubeやnote、エックスなどの発信を通して、誰でも自覚を始められるようにしています。

自覚の1合目2合目くらいがわかるだけで、随分変化が起こります。

そこで、お伝えしてい置きたい事は、それはあくまでも、自覚の1・2合目だという事です。

そこで自覚をしていると、どうしても、その先を見なくなる方が多いようです。

それは何を意味するかというと、自覚の奥行を感じないまま、自覚の価値を判断していしまいがちになるという事。

変化によって、自覚の良さを体感しながらも、同時に、自覚の価値を自分で規定してしまい、自覚の表層だけの理解に留まる方が、大半のように感じています。

自覚を誰でもできるようにしているのは、その奥行きを感じてくださる方が、さらに進むべき道を見つけられるように・・・

という意図も同時にあります。

もちろん、独学であっても、楽になり、理解が広がる方が多くいらっしゃることは、わたしにとってありがたい事でもあります。

それだけでも、世の中が少し明るくなりますから(笑)

自覚を実践して、自覚の本質がわかるようになると、自覚人になります。

自覚人は、世の中を明るく照らす方でもあります。

※注)ライトワーカーとはかなり違います。

最終的に、自覚人が増えて、自覚人が増える事で起こる必然があり、その必然を超えて、自覚人が、次の進化の段階に入る事をこの地球でのとりあえずのゴールとしています。

自覚人が増える事の必然は何度か書いていますので書きませんが、自覚人が次の段階に入った時もまた、自覚は続いていきます。

地球上にある○○メソッドは、その時何の意味も成しません。

○○メソッドを否定するわけではない

すべての教えの先は自覚に続いています。

わたしが、自覚を伝える理由でもあります。

すべての手法、教えでは、物足りない、または、それらに違和感を感じ始めた方しか自覚はできませんし、やろうという気にはなりません。

そこまでに必要な道をすべての方が歩んでいます。

自覚が深まると、すべての歩みは肯定されるべきものだという理解が起こるようになります。

自分自身も含め、すべての方が歩み、途中である事。

その理解の中で、自分の後ろを歩んでいる方を否定する気になるでしょうか。

赤ちゃんがおむつをしている事を非難するでしょうか。

子供が、親の手から離れたくない事をバカにするでしょうか。

同じことなのです。

そうはいっても、中学生がお母さんの手を離せないでいる時、違った思いが湧いてくるように思います。

その様に見える方が沢山いらっしゃいます。

そろそろ、すべてから自由になる、自覚の道にいらっしゃいませんか!

最終段階に入った方にとって、自覚以外満足させるものはありません。

そう思わないのなら、まだ、やり残している事があるからです。

存分にそれをやらないといけません。


さて、そうはいっても、自覚は自由な意思のもとで実践していくモノです。

自分の意思で次の段階に入ろうと決心した時しか、わたしはお手伝いできませんし、おせっかいな事はしようとは思いません。



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