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[閉鎖病棟入院日記8]真夜中に睡眠薬を待つ患者たち

追加の睡眠薬を待ちわびる患者たち

私が現在入院している病棟では、一度睡眠薬をもらったあと眠れなかった場合に、もう一度睡眠薬をもらえる仕組みがあります。

夜の8時半ごろに眠前薬を全員配られて飲みます。その後9時に消灯して、10時を過ぎると追加の睡眠薬をもらうことができます。

普通は眠前薬を飲んだあと、一度はベッドで寝ようとするのが普通ですが、眠前薬を飲んだあと部屋に戻らずにナースステーションの前にたむろしてる人が20人以上います。

もはや眠前薬だけでは眠ることができず、追加の睡眠薬を待つしかない人がたくさんいるのです。

煌々と照らされるナースステーションと佇む患者の闇

部屋の電気で煌々と照らされるナースステーションとその前に佇む患者たちは、まるで光と闇のコントラストのようです。

薬を待つ患者は特に隣の患者と話す様子もありません。もしかすると沈黙の中でお互いを慰め合っているのかもしれません。

追加の睡眠薬を配る看護師は患者と契約を結んだ悪魔のようです。患者たちは気だるい顔で追加の睡眠薬をもらって自分のベッドへ向かいます。

1人また1人と暗い自室へ吸い込まれていく様を見ていると何だか物悲しい気持ちになります。

もし治る見込みがないと言われたら

現代医学では、患者を薬で無理やり眠らせることはできますが、精神的な病気を根本的に治すことは難しいと言えます。

そもそもどの程度まで回復すれば「治った」といえるのか、その基準さえも曖昧なのが精神医学だからです。

もし私が医者に「あなたの病気は治りません」と言われたらどう思うか考えると、絶望で自暴自棄になってしまうかもしれません。

実際には私のパニック障害という病気は比較的薬でコントロール可能な部分が多く、「治った」経験談もたくさんネットで見受けられます。

一方で追加の眠剤を待っている患者の中には、もう何年も入院を続けている人も少なくありません。

それだけ多くの時間を病院で過ごせば、自分の病気が一生治る可能性のないものだと理解している人も多いでしょう。

諦めることは希望なのか

治る見込みのない病気を抱えた患者たちは一体どんな心持ちなのでしょうか。一種の諦めのようなものを抱えて残りの人生をただ消費するために生きているのでしょうか。

まだ治る見込みがあり、将来に希望を持っている私にはそうした患者たちの気持ちは察するに余りあります。

まるで余命宣告をされたがん患者のようだと思いますが、残りの人生が虚無で覆われていることを思えばもっと残酷なのかもしれません。

生ける屍のまま、寿命が来るまで苦しい精神状態を生きなければいけない。

それとも「残りの人生はもう頑張らなくても良い」と言われて、一種の安堵感に満ちた気持ちなのでしょうか。

「もう社会に貢献しなくてもよい」と宣告されることは義務感からの解放でもあり、一部の人にとっては安心を覚えるでしょう。

病気が「治らない」という認識は絶望なのか、それとも安堵なのか、私には一生わかることはないでしょう。

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