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先生記録 No.2 大学生→教員

中高と国語の授業はあまり好きではなく、しかし読書は好きで、受験勉強から逃避していた高3の一年間は一日3冊、休日5冊とノルマを決めて読書に没頭していた。

本、物語は好きだけど、その読み方を強制される国語とはいったい何なのか。
そこに意識が向いた結果、理系大学受験クラスにいたにも関わらず国文学科を志望し、一浪の末に進学した。

結果として、嫌いだった「国語」の先にあった「作品読解、解釈」は私にとってとても有意義なものであり、大学院進学も視野に入れながら大学生活を満喫することになった。

しかし、楽しい大学生活の中でも小さな挫折、というよりも明確な気づきがあった。

大学で所属した文芸部では批評や文章が上手いと評価され、ゼミでは解釈の論理性が教授から評価された。
だが、明らかに「物語を書く力」と「新しい論点を見つける力」。
いわゆる「想像力」「発想力」が乏しい。確実だけど、面白みがないという自分の限界を思い知ることになった。

残念ではあるけれど、悲観するほどではない。どうにかなればとは思うけれど、努力する気は特に起きない。

研究者あるいは出版社勤務(あわよくば作家)という「理想の自分」は夢物語に終わり、気づけば就職活動すらしないままに大学を卒業。

深い考えなく中高教員免許を取得していたことから、大学の就職課より私立高校、公立中学2校の面接を紹介してもらうことになった。

私立高校、1校目の公立中学は不採用。
特に教職に思いもなく、就職活動のセミナー等も受けておらず、明らかに「就職に向けて何もしてこなかった学生」であるとわかる私がそもそも採用される由もなく、3月も末。

春からどんな生活になるのか。不安を少し抱えながらも、紹介された最後の1校の面接のために某教育委員会へ。

前の2件は、あからさまに「面接」という空気のもとでものものしく行われていた。
今回も面接希望者が短い列を作り、順番に面接室へ。そんな流れかと思っていたが、まったく違う展開であった。

小さな街の中でいやに綺麗で大きい市役所の中に、市教育委員会が入っていた。

緊張しつつ「本日面接していただくことになっています」と伝えると、とてもフレンドリーな男性職員が「こちらにどうぞー」と衝立の向こうに手招きをする。

促されるままに席につき、2、3言の雑談。
さて、いよいよ面接かと身構え始めると、

「いま、○○に住んでるんだ。通勤はどうする?引っ越す?」

「まだ採用も、採用された場合の勤務校もわかっていないので、答えかねます」

「あー、そうだよね。○○中学校に勤務して貰うから、最寄駅は○○だね」

……? あれ? 採用された?

本当にそのまま採用となり、4月から常勤講師として公立中学校に勤めることが決まった。

当時は「なんてあっけない」としか感じていなかったが、今になって思うとそれは講師不足の深刻さの一端であり、つまりはその中学校が課題を抱えた環境にあることを暗に示していたのだが、当時の私には知る由もなかった。

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