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先生記録 No.9 常勤講師一年目(7)遭遇

私が勤務することになった中学校は、まず地域としてヤンチャな層が多いところであったらしい。
そして、勤務し始めて勤務校がいわゆる指導困難校であることを知った。

今回はヤンチャ層との遭遇を振り返る。

入学式に続き始業式が過ぎ、まだヤンチャ層に直接出会っていなかった私はまだあまり「指導困難」と言われている状況について、認識できていなかった。

ただ、挨拶運動とやらで始業前に挨拶に立っていた際に、違和感を持っていた。

「おはよう」と挨拶をしても、返事を返す生徒はほとんどいない。
ともすれば「おはよう」に対して帰ってくる返事は「だまれ」「死ね」「うざい」の三種類だけ。
自分が通っていた中学校との雰囲気を違いを肌で感じ始めていた。

そして始業式の翌日、ちょうど授業の空き時間で職員室にいた際に、彼らは現れた。

少しずつ職員室の雰囲気にも慣れ始め、同じく空き時間だった先生と雑談などしていると、廊下から突然の爆音。

聞いたことのない騒がしい音楽が、大音量で響いてきた。

「来たな」

他学年の先生がため息をつきながら、廊下を向く。
足取り重く立ち上がる先生たちと一緒に、何事がおきているのかと私も廊下へ。

そこには、肩に抱えたスピーカーから騒音を撒き散らし、掲示物を片っ端から破り捨てていく集団がいた。

いわゆる、改造制服?
古いヤンキー漫画でしか見たことのない、短ランに長ラン、ボンタン(のちにズボンの太さによって呼び名が変わると知る)。
金髪銀髪にピアス、サングラス、土足。火がついたタバコを咥え、壁や廊下に痰や唾を吐いている。

ただただ、唖然。
え?平成の世の中に、現実に、こんなステレオタイプなヤンキーなんているの?

先に対応した先生方とヤンチャの間では、すでに言い争いが起きている。

要約すると大人からは
「タバコをやめなさい」
「正規の制服、上靴を着用しなさい」
「不要な物は持ち込まないようにしなさい」

ヤンチャからは
「だまれ死ね」

しばらくの膠着状態の後、ヤンチャたちは廊下の端に座り込み、爆音を鳴らしながら歌詞やジュースを広げてプチ宴会。

2年生と3年生の生徒だったため、2年生と3年生の教員で通路や階段に見張りを立て、1年生の教員は1年生フロアの防衛に。

その日は一日、厳戒態勢をしくだけでなんとか1年生への接触は抑えることができた。

しかしその日の放課後、クラブ活動後に地域から苦情電話。

「○○公園で生徒が大騒ぎをしている」

車通勤の教員に足になってもらい、すぐに3学年混合の男性教員人で軍手とゴミ袋、火バサミをもって公園に急行。

向かった先の公園ではヤンチャ層が1年生男子を数人連れながらスピーカーで爆音を鳴らし、学校と同じように菓子やジュースを広げ、盛大にゴミを撒き散らしながら大騒ぎ。

教員が来たことに気づくとヤンチャたちは、なにやら1年生男子に笑顔で伝えると、表情を険しくしてこちらへ。

「近隣から苦情が入っているからゴミを片付けて帰宅しなさい」
「だまれ死ね。殺してやるから電話してきた奴はここに来い」

しばらくの大騒ぎが続く中、私を含む1年生の学年団教員で1年生の生徒を帰らせていると、ヤンチャ層がついにこちらに目をつけ、威圧的に向かってきた。
新任、転勤が多い我々に対して

「お前らは誰だ。挨拶もないのか」

と思しき内容をまくしたて始めたので、ひとまず意思疎通を図ろうと

「今年からきた○○。苦情が来たから対応にきた」

と、自己紹介と目的を伝える。
そして私はどうしても気になっていたことを、そのまま続けて質問した。

「ところでその制服ってどうやって手に入れてんの?どっかそういう店あんの?」

そこからは急にヤンチャたちは笑顔になり、近くの○○という店で改造制服や特攻服を売っており、そこで購入していること。短ランがいくらで長ランがいくら。ボンタンはサイズによるけどこれくらいで買える。卒業時にはオーダーメイドで卒ランなるものを作ってもらうつもりだ。それらはすべて親がお金を出してくれている。

改造制服についていろいろと教えてくれた。
やはり長ランの方が短ランよりも高価らしく、刺繍によって値段がまるで変わるらしい。

ヤンチャとの出会いで、一つ私は賢くなったのだった。

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