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「踊りたい女」の遠吠え

なぜだか急に、踊りたくてたまらなくなった話。

「踊りたい!!!!!!!!!」

それは、突然訪れた感覚だった。


遡ること2020年春。
当時の私は、会社員。週5日の出社からフルリモートワークとなり、ほぼ毎日、家でパソコンと睨めっこをしながら過ごすようになった。

そんなある日の夕方、どこからともなく突き動かされるようにわいてきたのが、これだった。

「踊りたい!!!!!!!!!」

それから、事あるごとに「踊りたい」衝動はやってくる。
そして実際に、色んなダンスレッスンに行ったりもした。

フラダンス、バリ舞踊、インド舞踊等の「型」のあるものから、オーセンティックムーブメントなどの「身体の知恵にしたがったダンスセラピー」のようなものまで。

あと「なんかいいな」と思ったダンス動画をpopIn Aladdinで壁に大きく映して、真似しながら踊ったり……なんてこともしていた。

(popIn Aladdinなしの生活は、もう考えられません……)

私が好きなのは、祈りのような踊りで、色々と試した結果、今、いちばんのお気に入りはタヒチアンダンスのようだ。

フラダンスも美しいと思うけれど、自分がやってみると、あまりにぎこちなくて、「風」や「波」を表現できるようになるとは思えなかった(苦笑)。

ただ、スローテンポのしっとりとしたダンスも、とても美しくて憧れる。

あと、バリ舞踊やインド舞踊も大好きだ。
ただ、いざやってみたら複雑すぎて「これは相当練習が必要だな…」と思ったのでした。

少し踊ったり、素敵に踊る方々の動画を見ていると、衝動は落ち着いてくれる。
だけど、時間が経つとまたやってくる。近ごろでは慣れたもので「あーーーまたやってきた」と、顔馴染みにはなった。
ただ、まだうまい付き合い方が見出せていない。

私のなかにいる「踊りたい!!!!!」という私と、どんな関係性を紡いでいけばいいのやら……と、正直なところ戸惑っていた。

そもそも、この衝動は一体どこからやってきているのかが謎だ。
人生のなかで「踊り」は縁遠いものだった。運動会や体育祭では、人並みに踊っていた記憶があるけれど、それくらいで、かつて一度も主体的に「踊りたい」と思ったことはない。

果たしてどうしてしまったのか……
私に何が起きているのか……

と、疑問に思っていたのだけど、つい先日、この「踊りたい!!!!」衝動の出発点に、一つの仮説ができた。

私のなかに湧いてきた「踊りたい!!!!!」「女性性の回復」のプロセスだったのかもしれない。

踊りたがっていたのは、私のなかの「女性性」か?

何とかして彼女は、再び、彼女自身の体の内の聖なる神秘を見出し、それを神聖なものとして、また1つの神秘として崇めなければならない。
踊りは、自分の体に耳を傾けるための1つの実際的な方法である。

これは、ユング心理学の研究者である女性、マリオン・ウッドマンが著した言葉だ。

著者がサポートをしていたクライアントの女性は、女性性の課題を抱えていたという。課題と対峙するなかで、結婚・妊娠したが、子どもを喪ってしまった……そんな悲しい出来事と向き合う最中で、クライアントから自然と「踊り」がわいてきたという。「踊り」を通じて、傷ついた女性性が癒されていった——

と、マリオンさんは捉え、先のような文章を著したらしい。

このことを知るきっかけとなったのは、松村憲さんの「夢分析サロン」
「夢分析サロン」は、ユング心理学やプロセスワークを参考にしつつ、「夢」(夜に見る夢)と親しみ、学びあうコミュニティ。毎月、さまざまな観点から「夢」を深めているのだけど、今月(2023年7月)のテーマは「女性性」だった。

どうやら「踊り」と「女性性の回復」は切っても切れないものらしい。
この話を聞いたとき「なるほどねーーー」妙に腹落ちした感覚があった。

私のなかの「女性性」が踊りたがっていたのかもしれない
その仮説をたてると、いろいろと辻褄があってくる。

「踊り」は私たちを助けに来ている?

マリオンさんのクライアントさんと同じように、私にとっての「踊り」は、私自身を癒すためにやってきたのかもしれない

実際に、私も、女性性を追いやることで社会に適応してきた部分はある。
たとえば、ホルモンバランスに乱されずに仕事がしたくて、低容量ピルを飲んでいた時期だってある。
生命の論理に反していると思いながらも、目先の実利を選んだことは数知れず。ほかにも、ジェンダー的なあれこれでの違和感もたくさんあるけれど、多くの場合は「沈黙」「抑圧」を選んできた。

社会に適応して生きていくって、それなりに大変なことだと思う。
社会で「よし」とされる振る舞いや行動、考え方、感情は、私たち一人ひとりがもつ全体性のごく一部。だから、誰もが自分の一部を否定しながら生きている。
男女それぞれ質の違った大変さもあれば、男女関係なく大変なこともある。

世界は歪だ。
そして、丸ごとの全体性で生きるには狭過ぎる。
だから、間違いなく、私の女性性は傷ついている。

いや、傷ついているのは、私の女性性だけではないだろう。
私以外のすべての女性の「女性性」は傷ついているし、男性のなかにある「女性性」だって同じように傷ついているのだろう。

女性の心はこの飢えに反応する。なぜなら、ロゴスが切り離してしまったものを統合するのがエロスの機能だからである。
今日の女性はとてつもない、文化的課題に直面している。多分それは新しい時代のあけぼのとなるだろう。

これもマリオンさんが著書からの引用。

行き過ぎたロゴス(男性性)が切り離してしまったものを統合するためにエロス(女性性のもつ愛の感覚)があるのだとしたら、「踊り」が必要なのは、現代に生きるすべての人なのかもしれない

クラブに人が集まるのも、時折みんなで踊れるようなダンス曲がヒットするのも、もしかしたら集合的な「エロス」なのかもしれない。

というわけで、みんな踊ればいいのだ。

身体が望むままに。
腹の底から突き上げてくるような「何か」にしたがって。

さいごに、ご相談・お願い

私も、もっと踊っていきたいと思っている。
この感覚、この衝動にしたがって、踊りでしかできない「癒し」に取り組んでいきたい。

だけど、踊りから遠ざかること30年超。
一体この衝動とどう付き合えばいいのか。
何かしたいとは思うものの、どこへ行って、どんな先生につけばいいのか。
それとも、今のまま、ただ気が向くままに踊っていればいいのか。

というわけで、ご相談とお願いです。

ここまでの内容を読んで、私に勧めたい「踊り」や「実践(プラクティス)」、そして「踊れる場所」「場を提供してくれる先生」に心当たりのある方は、ぜひ教えてください。

踊りたい!!!!に正当な居場所を与えるために、何卒ご協力いただけましたら幸いです。
よろしくお願いします。

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