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その一歩が大事なはず

今日、職場に聴覚障害の方が来た。
掲示していた講座チラシの講師を知っていたようで、チラシがほしいとのことだった。

その方は口話もわりと聞き取りやすくて、私の口形も読み取って理解してくれたし、ほんの少しだけど手話もわかったので、コミュニケーションは成立した。

けど、もっと手話がちゃんとできたら、もっとスムーズにコミュニケーションが取れたのにと残念でならない。

10年くらい前に公民館でバリアフリー講座をやって、視覚障害の方と聴覚障害の方を講師に呼んだのをきっかけに、手話の講習会に3年間通った。

けど、その後実践で使う機会はほぼなく、当時一生懸命覚えた手話も今はほとんどうろ覚え。
手は全然動かないし、使わない機能は衰えることを実感する。

でも、私が少しだけ手話がわかると知って、その方はとっても熱心に色々な話をしてくれる。
そして『北九州の手話』という地元の手話表現を掲載した冊子までくれた。

やっぱり、手話ができたらいいなぁと思う。

昨年夏に大きなイベントがあって、そのふりかえりの会で出会った聴覚障害の方とは、筆談でやり取りをした。
その時にも、また手話の勉強をしようかなという気持ちになったのに、何もしないまま今に至る。

その時やりたいと思った気持ちは嘘ではないはずなのに、一歩踏み出せないまま、現状は何も変わっていないということは結構ある。

10年前、実際に講習会に通い始めた時と、何もしないままの今と。
単純に興味関心の度合いとか、時間的な余裕とか、きっかけになった相手への思いとか、他の色々な活動と比べた時の優先順位とか、色んなことが違うんだろうと思う。

けどこのまま今回も何もしないっていうのもなぁと思って、とりあえず昔買った『ユーキャンのこれだけ!実用手話辞典』を開いて、1回だけ指文字の練習をしてみた。
そしたらちょっと思い出して、もう1回やってみようという気になった。

本当にほんの少しのことでも、何かやったっていう事実が、きっと大事なんだろう。

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