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私と男着物

生きている以上、誰しも「女だから」「男だから」という言葉に触れたことがあると思うのだが、営業写真業界でもそれは変わらず、むしろ営業写真だからこその「女だから」「男だから」を聞く場面がある。

「男だから写真は撮らなくていい」
「女の子なんだから振袖は着るべき」
「男はカッコ良く」
「女の子は笑わないと」
「男の子なら黒」
「女の子はやっぱりピンク」

新人の頃はそんなもんなんか、と思っていたのだが、真面目に聞いても説得力みたいなものは感じ取れなかったし、「女だから」「男だから」という言葉の先には大体嫌そうな顔か、あるいはどうでも良さそうな顔、思考を放棄した顔がいて、幸せそうな光景が広がっていることはほぼなかった。なので、第三者が言ってようが本人が言ってようが、「女だから」「男だから」という言葉は気にしなくていいことにした。

気にしなくていい、と思ったのだから気にならなくなったかと言われると、そうではないのが神経質な私の面倒な所で、気にしなくていい言葉というのはイコール不要な情報であり、こっちはそんな言葉を言われても何も得ることはないのだから、「これ聞いてる時間、無駄だな」と思うようになってしまい、要は逆に気になってしまうのだった。私はそんなことよりも「笑顔は苦手か」とか「使いたい小道具はあるか」とか「どう写りたいか」を聞きたかったし、撮りながらそれを探る時間の方が大事だった。

もうこうなってくると、被害妄想と言われるかもしれないが、私にとって「女だから」「男だから」は営業妨害に近しい。ごもっともな理由を話してくれるのなら聞きたい所であるが、誰もそれを教えてくれたことはないし「だから、ね」みたいな、「後は言わなくても分かるでしょ」みたいな言い方をしてくる。言われないと分からないし、私は分かったふりがこの世で1番嫌いだ。だからなんだよ、本人の話をしてくれよ、そう思っていた。

そんな自分に衝撃的なことが起きた。

数年前のことである。たまに着物の撮影会を一緒に企画していたキャンディさんという方から「女性に男着物を着てもらう撮影会をしませんか」と言われた。

着物ならばと飛びつく私である。断る訳がない。ポージングをするにあたり、着心地を最初に知っておきたい、とキャンディさんに頼んで男着物を着せてもらった。これが、笑える程に似合っていた。

女着物を着る機会は沢山あった。でも、似合ってると思えず、自分から着たいとはあまり思ってなかった。でも、男着物を着ようという発想はなかった。自分が「女だから」。

大きな大きなブーメランが、「女だからなんだよ」と偉そうに言っていた私の頭を打ち、砕いた。そして、また飛んでいった。砕けた頭の穴から「女だから」を抜き取って。

すぐに男物の浴衣を買いに行った。店員さんは一応「男物ですけど」と言いはしたが、「男物が欲しいんです」と言ったら笑顔で対応してくれた。

鏡の中に、着物が似合う私がいた。着物が似合う私は、今度こそ「だからなんだよ」と言える私だった。「だからなんだよ」と言える私になれて、嬉しかった。「だからなんだよ」と言える私で撮れた「女性が着る男着物撮影会」は、本当に楽しかった。

どんな撮影でも楽しいけど、どんな着物でも楽しいけど、私にとって「女性が男着物を着ている撮影」はその時の気持ちを思い出せる撮影だ。最高と呼べるほど、私はこの撮影が好きだ。

追記
好きが高じて写真集作ろうとしてます。クラファンやってます。今200%超えました。いえいいえい。でもまだまだ上を目指します、より多くの人に届きますように。








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