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しゃーない

私の記憶が確かであれば、フリーのカメラマンとして独立してから5年が経った。計算が間違ってる可能性なら大いにあるが、とはいえ4か6の違いだからどっちでも変わらない。

「誰でも3年は食える、問題はその後」と独立時お世話になった師匠は言っていた。その3年は確実に過ぎたので多少の安心はあるが、何年だろうと潰れる時は潰れるのを知っているので、不安はまだ不安である。

しかも思い返してみれば、5年もやっていればコネだのツテだの増えてても良さそうなものなのに、私ときたら知人が善意で回してくれた挙式撮影の現場を「楽しくない」と言って断り、知人が紹介してくれた証明写真撮影の現場を「性に合わん」と辞め、前の職場の繋がりで紹介された七五三スタジオの仕事を「癪に障る」と研修直前で断り、別の大手七五三スタジオを「機械じみててキモい」と辞め、挙句特別待遇すらされていた成人式前撮りの現場を「スタジオが気に入らない」と大幅に減らすなどし、積極的に仕事を減らしにいっているとしか言えない行動をしている。

そうして常に人材不足の記念撮影の現場に背を向け、「笑顔禁止」だの「女に男着物を着せる」だの「エロいの嫌いだけど春画撮りたい」だのの企画に力を入れているのだから、まだ収入は全然不安定で、こうして書いている間も「私は何をしてるんだろう…」という気持ちになる。

「私は何をしてるんだろう…」は高頻度で我が心を訪れ、都度長居をする。いなくなる方が稀である。私は奴を同居者として認めていないが、奴にとっては私の心が居住地なのだろう。きっと役所にも届けているに違いない。

どうにか追い出せないものか、と色々策を講じてみるものの、「私は何をしてるんだろう…」はたまに大きさを縮めたりするくらいで、基本的には、いる。いないと思いきや冷蔵庫にいるし、風呂に先に入ってたりするし、押し入れからパーン!と出てきて「おめぇ…」となったりする。

そうして「私は何をしてるんだろう…」と共に生きて5年、考え疲れた私はある境地に達した。これはもう、私が選んだ「私は何をしてるんだろう…」なんだと思う。

安定しようと思えばいくらでも手段はあった。楽しくない挙式撮影を続けても良かったし、気に入らないスタジオで成人式を永遠に前撮ってても良かった。なんなら他の業種に転職しても良かったし、本気で考えたこともある。でも、それでもきっと「私は何をしてるんだろう…」と思っただろう。その「私は何をしてるんだろう…」は、きっと今の「私は何をしてるんだろう…」よりも耐え難いものだったはずである。

私は安定を捨てた。でも、同時に停滞も捨てた。諦めも捨てた。馴れ合いも捨てた。思考放棄も捨てた。捨てたいものは全部捨てた。それで残った「私は何をしてるんだろう…」の1人や2人くらい、なんだと言うのだろう。それくらい養えないで、私の心が私の心でいられるだろうか。

そう言えば独立した時、強く願っていたことがある。

「自分が望んだものと一緒にいたい」

望んだものはまだ手に入っていない。でも、望むのをやめたら尚更手に入らない。今手元にある「これは…なんですか…?」というようなものすら、望んだ結果に手に入ったものなら、自分の行動の証として、捨てる前に一瞬笑いかけてやるくらいの気持ちでいなければならないだろう。

はぁ、仕方ねえ。やるか。

そういう気持ちで6年目。いざ。

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