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撮りたいもの

「撮りたいもの」と聞かれた時に「これ」というものを答えると、「ではそれ以外は撮りたくないのですね」ということにされてしまうことが多々あり、それでなくてもHPやSNSに並べた写真から「この人はこういうのを撮る人だから、きっとこれは撮ってくれないだろう」などと聞かれてもないことを勝手に判断されてしまうこともあったりするので、なかなかこの話題は難儀なのだった。ちなみに以前は「着物以外撮りたくない人」と思われていたこともある。ちょっと好きを強調したらこうなるんですよ。

「撮りたくないもの」を語るのもまた同じく難しく、それは私にとって「撮りたいもの」「撮りたくないもの」といった「写るものがどうこう」よりも「本当に私に撮らせたいか否か」が重要なのであって、これに説得力がなければ、全く撮りたいと思わないのである。

例えば私は振袖を撮るのが好きではあるが、他のカメラマンが撮った写真をずらずらと並べられて「こんな感じに撮って下さる?あなた実際にこれを撮った人よりお安いから頼んだのよ」などと言われたら撮りたくないに決まっている。

逆に人の裸が苦手なことから、ヌード写真を積極的に撮りたいとは思わないのであるが、これを「手術して傷が残る前にどうしても自分の裸を写真に残しておきたい、あなた以外に頼みたくない」なんて言われたら、もう絶対に断りたくないし、好きなだけ脱ぐがいい、となるのである。

他にもブライダルスナップは「流れを分かっている式場カメラマンがいるならその人に任せた方が良い」という考えから基本断っているのであるが、「どうしてもあなたに撮ってもらいたい、式場にもOKと言わせた、事前打ち合わせの時間も取るし、その分の拘束料も払う」とまで言われたら受けない訳がない。

或いはロリータなども好きなのであるが、どれだけ可愛い衣装でどれだけ豪華なスタジオを用意されようとも、「加工はこっちでやるんで」と言われたら即断る。私は加工しないとHPで断言している。それを読んでない時点で既に嫌だし、最初から加工に頼るなら、私じゃなくてもいいと思う。

「写真を撮られたい」と「私に写真を撮られたい」はまるで違う。「写真を撮られたい」だけでは何も思わない。そこに「私に」がつかないなら、その辺に溢れる雑音と変わらない。わざわざ聞こうだなんて思わない。どこかに「他のカメラマンでもいいや」があるなら、私は撮りたくない。

かまってちゃんだの自意識過剰だのと思われても構わない。それくらい「誰に撮らせるか」は写真において最重要事項である。撮る人間に興味が持てない人は、写真に興味がないと言っているようなものだとすら思う。

だから、私が「撮りたいもの」を敢えて口にするのであれば

「お客さんが私じゃなきゃ嫌だと思ったもの」

である。

さすがに死角はない。と、思う。写真は多分私じゃないと撮れなかったやつ。

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