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鈍刀

だいぶ以前に、とある大先輩からこんなこと言われたことがあります。

「君は鋭利な刃物じゃなく、どんとうだね。でも、どんとうはどんとうなりの良さがあるんだよなあ。」

「どんとう」、、始めはピンときませんでした。

「鈍刀」。。。

なまくら刀。切れ味の悪い刀のこと。

確かに、自分は切れ味鋭くなく、フットワークも良い方ではない。

とはいえ、「鈍刀は鈍刀なりの良さ」とはなんだろう。

そもそも「鈍刀」とは、そしてそのよさとはなんだろう。

「鈍刀」、「なまくら刀」。

切れ味が悪く価値が低い剣刀のこと。

この言葉から「なまくら者」とう言葉で対象が人となり、頭の回転が遅く感覚が鈍い人や怠け者、気の利かない人への皮肉言葉になったよう。

でも大先輩は、「鈍刀」を結構ポジティブに使って頂いた感じでもある。

よく解釈すれば、人間関係において鋭利な刃物で対応するより鈍刀くらいのほうがいいかも、、ということかなと勝手解釈しています。

そんなこと考えていた時に出会ったのが、坂村真民作の「鈍刀」という詩。

坂村真民は高校の教師をしながら臨済宗の修行道場で座禅に打ち込み、
禅を学び、仏典に親しんだ詩人。

鈍刀を磨く

鈍刀をいくら磨いても
無駄なことだというが
何もそんなことばに
耳を貸す必要はない
せっせと磨くのだ
刀は光らないかも知れないが
磨く本人が変わってくる
つまり刀がすまぬすまぬと言いながら
磨く本人を
光るものにしてくれるのだ
そこが甚深微妙(じんじんみみょう)の世界だ
だからせっせと磨くのだ

「はなをさかせよ よいみをむすべ」坂村真民詩集百選(p164)

甚深微妙の「甚深」は、はなはだ深いこと。「微妙(みみょう)」は、「微」は、極めて細かいさま。物事の奥底、極めて細かいところまで観察したとき、そこに大切なこと(「妙」)が見えてくるという。

鈍刀はいくら磨いても名刀にはならない。

しかし、せっせと磨くことで光るのもに近づくもので、磨きがいののあるものなのかもしれない。

また、amazonで「鈍刀」のキーワードで見つけたのが、坂岡真の著作である「鈍刀」という時代小説。

蔓延る悪に引導を渡す闇の男達の活躍を描く
「帳尻屋」シリーズの時代小説。

この「鈍刀」に出てくる主人公は、生き方に筋を通したために浪人となり、さび付いた刀を持つに至ったものの、篤実な人柄で確かな剣の腕前を持つ人物。

器用な生き方ではないものの、そして刀はさび付いるものの、生き方を模索する姿勢に共感しました。

やはり、自分の鈍刀は自分なりにせっせと磨こうと思いました。

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