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使われずに、使う

先日、Twitterでフォロワー17万人の方と、マンツーマンでお話する機会がありました。
17万人って、私が高校の時住んでいた場所の人口です。

超スゴい有名な方に、私はどえらい失礼なことを言ってしまいました。

Twitter、見るのもやるのも疲れます

うわ、言ってしまったぁー
どの口がぁー
コラ!言っていいことと悪いことがある。

Twitterで実績を上げ、教室まで開いている方になんてことを!

意外な答えが返ってきました

それは当然です
ふつうに使っていたら、誰でもそうなりますよ

私たちが依存するよう設計されたツールですから。

マウントをとったり、事実のどこかを切り取って誇張したり、プロセスではなく成功した一瞬だけアピールする。
それって、おかしいですよね?

でも、そういう人達に伝えたい事があるから、やっているんです、と。

目的のための手段としてのTwitter!
私はTwitterに使われていたんだ。

そこからさらに深い話をお聞きしました。
資本主義の歪み、不安を煽ることで利益を得る仕組みを変えていきたいという大きな願い。
それは、私が願っている世界と同じでした。

スマナサーラ長老の言葉を思い出しました。

泥の中に入って、真理を広めましょう

泥の中にいる人を助けるには、じぶんも泥の中に入るしかない
たすけてから、お互いに泥を洗ってあげればいい

つまり、世の中の多くの人は刺激を欲している。
純粋に伝えたいことを言うだけでは、面白がってくれないし、聴く耳を持たない。

私はTwitterでよしとされる型。
言い切ったり、煽ったり、魔法の方法があるような物言い。
それらが全部苦手。

けれども、本当に伝えたいことがあるならば、そういう人が興奮するようなものを届ける。
そこに伝えたいもののエッセンスを入れていくべきなんだ。

人を見て法を説け、だなぁ。

わかってできているその方のことを、私は本当に尊敬しています。

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