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【音楽と街】すばらしい日々

14歳、15歳。
ニキビ面の思春期真っ盛りだったあの頃、
僕は北海道の田舎の町で鬱屈した日々を過ごしながら、音楽を聞いていた。

僕は音楽が好きで、読書が好きで、
流行ってるとか、皆が聴いてるとか読んでるとか、そんなことはまったくどうでもよくて、自分が好きだと思ったら胸を張って好きだと言っていた。

音楽は90年代のロック。
94年生まれの僕にとっては、自分が生まれる前後の時代の音楽。
スピッツが一番好きで、あれから15年ほど経った今も変わらない。スガシカオやミスチルや、イエローモンキー、ピロウズ、エレカシなんかも大好きだった。あとはビートルズも好きだった
ロックのロの字も知らん奴らが「古いね」と笑っていた。

読書は、当時は専らミステリーか青春もの。
東野圭吾や伊坂幸太郎、佐藤多佳子や森見登美彦にはまった。あとは芥川とか太宰も読んだりした。
文学のブの字も知らん奴らが「渋いね」「意識高いね」とかほざいていた。

古くて、渋くて何が悪い。
つーか古くも渋くもないっつーの。
どれもこれも、かっこいいし、おもしろいんだよ。

中学のクラスの奴らは群れてばかりで
ちょっと目立つ奴が流行りの曲を聞きだしたら、
みんなして同じもんばっかり聞いていた。
同じ音楽、同じテレビ、同じ漫画、同じゲーム、
しまいにはボールペンや消しゴムまで同じものばっかり持つようになっていた。

自分の軸みたいなもんはないのかね。君たちは。


思えば小学生の頃からそうだった。
ニンテンドーDSの大勢で対戦できるゲームをクラスの男子はみんな持っていて、放課後になれば公園に集まってゲーム、ゲーム、ゲーム。

DSを持っていなかった僕は、ついて行こうとすると「お前はダメだ」と肩を突き飛ばされて帰らされた。

仲間外れにされた僕は、みんなと遊ぶために親にゲームをねだることもなく、あいつら群れてばっかりでおもしろくないなと思っていた。そういう子だった。

他にも色々ある。
当時グリーンピースが嫌いな子が多く、給食でのチャーハンなどに入っていればみんなが残した。中には、本来は食べれるのに、みんなが残しているのを見て自分もそれに倣うような、そんな子もいた。

その中で一人パクパクとグリーンピースを食べる僕に、
「みんな残してるのになんで食べるの?」
と聞かれたことがあった。
「みんなが残してたら残さないといけないの?」
そう返すと、
「みんな嫌いなんだよ。変わってるね」
と言われた。

ある時は、学校で購入する裁縫セットのケースに文句を言われた。
男子のほとんどがドラゴンかスコーピオンというガチャガチャしたデザインのものを選んでいたが、僕はどれもダサくて嫌だったので、一番マシだったドラえもんのデザインを選んだ。 

それを見たクラス中の男子たちが寄ってきて、例によって
「なんで一人だけドラえもんなの?」
「みんなドラゴンかスコーピオンだよ?」
「変わってるね」
と散々笑われた。

ただ幼稚なだけなのか、田舎特有の閉鎖的な町民性が子供にも影響を及ぼしているのか。
わからないけど、僕はとにかく変な人として見られることが多かった。


中学でもそれは一緒だった。
というか、もっとひどくなった。

中学生になると、カーストというものがクラスに出来上がってくる。
そこの上位に属する、いわゆる陽キャでイケイケの奴らの持っている影響力は、異様に強い。
彼らの中で音楽やお笑いが流行れば、それがクラスの「正解」になる。
それ以外は「間違い」となる。

そういうクラスだった。
個性のカケラもない、つまらない人たちばかりだと思った。
僕は初めはみんなと仲が良かったが、だんだんと馴れ合ってばかりの彼らをやや小馬鹿にするスタンスを取るようになり、周囲からもなんとなく「こいつちょっとめんどくさいな…」と思われている空気を感じていた。

中3の夏、とあることがきっかけでクラスの友達と揉めた。割とグループの中心にいるタイプの男子だった。
それを機に、その友達が僕に対して明らかな敵意を向けるようになり、彼の取り巻きたちまで僕を無視し始めた。
それが徐々にクラス中に広まり、以前から漂っていた僕への「めんどくささ」の空気も相まって、ついに僕は誰からも相手にされなくなった。孤立した。

僕もめんどくさい、ヤな奴だったから仕方ないな。
ま、いいや。

と強がってはみたものの、物事の本質を見ようとせず、強者・多数派にばかり付き、少数派は排除しようとするクラスの動きには、やっぱりつらいものを感じていた。
変わり者とされてる僕のことを受け入れたり、肯定してくれる人がいなかったことには、怒りよりも哀しさを感じた。

受験期だったから授業は受けたくて、学校には毎日行った。休み時間は机に突っ伏して寝たふりをするか、本を読んでいた。
あの頃は辻村深月の『冷たい校舎の時は止まる』というミステリーにはまっていたのを覚えている。
高校生の男女8人が、ある冬の日に校舎に閉じ込められるというストーリーだった。

このクラスも、全員閉じ込められたらいいのに。
今は僕だけが、教室の中の見えない壁の中に閉じ込められているようだ。そんなことを考えていた。


しかし、
実は僕はまったくの孤独ではなかった。
同じように、クラスの輪から弾かれてしまった男の子がいたのだ。

彼は小学生の頃から同じクラスだったのだが、小学時代はまあ普通に友達、という感じだった。
中学入学後、ひょんなことから音楽の趣味が合うことが分かり、一気に仲良くなった。

彼も元々音楽そのものが好きで、僕の影響でスピッツなどの90年代のロックに興味を持ってくれた。
さらには僕の範疇外だった80年代ロックにも手を出し、UNICORNやBOOWYのCDを買っては、僕に貸してくれたのだった。
他にも、深夜ラジオにはまったり、アングラなネットのサイトを教え合ったり、クラスの他の誰も知らないようなニッチでディープな、二人だけの話を毎日していた。

その一方で、彼はちょっと目立ちたがりの一面もあった。
カースト上位組の中で流行っていることを追っかけたり、過剰に大きな声で下ネタを言ったり、目立つ行動を取ることで、クラスメイトの気を引こうとすることが多々あったのだ。

しかし、その振る舞いは悉く空回りしていて、彼も彼でなんとなくクラスから冷めた目で見られていた。そして気が付けば、僕同様、教室での居場所を失っていた。

本音を言うと、僕は彼と趣味の話をするのは楽しいが、カースト上位のグループに擦り寄っていく姿には、多少の見下しの眼を向けていた部分もあった。(嫌なやつ…)

だけど、自分と同じように孤立してしまった彼に、もうそんな気持ちを持つことはできない。
同調圧力の跋扈するこのクラスで、唯一分かり合えるのは君しかいない。
そして、僕は彼と一緒に過ごす時間がこれまで以上に多くなった。

教室は居心地が悪かったので、彼のアイデアで僕らは休み時間の度に保健室へ行くことにした。
本当は病気でもない人が入り浸るなんて良くないのだが、保健室の先生は優しく、いつでも僕らを受け入れてくれた。
保健室でクラスの悪口を言ったり、昨日見たテレビの話をしたり、そしてやっぱり、音楽の話をした。
こっそり持ってきたiPod nanoの操作ボタンをくるくる回して、有線イヤホンを片耳ずつ分け合って、音楽を聞いた。

彼はすごくいいやつで、話していて本当に楽しかった。本心で話せた。彼だけが、僕を受け入れてくれた。
僕は彼をちょっと馬鹿にしてたことを恥じた。そう思っていると、実は彼も僕のことをなんとなく馬鹿にしていた節があったらしい。

お互い様だね。そう言って、笑った。


あの日々からもう15年が経つ。
僕らは今年30歳になる。
もう全然会ってないけど、SNSは繋がってるから、お互いの近況を知ることはできる。

彼は今、美容師になるという夢を叶え、
結婚して、パパになった。すげぇな。
いつもかわいい子供の写真を投稿している。
幸せそうでほんとに良かった。すげぇよ、ほんと。

僕も僕で、一昨年結婚した。
仕事はなかなか長続きせず、人生迷いまくってるけど、パートナーと一緒に仲良く楽しく生きている。

音楽もずーっと大好き。
90年代ロックは相変わらずのこと、彼が教えてくれたUNICORNも聞いてるし、他にもジャンルや年代問わずどんどんと聞く幅が広がってる。
そして今も、流行には疎い。
代わりに、自分の好きを大事にしている。
彼が受け入れてくれたものを。

僕らがクラスで孤立し、保健室に行きまくっていたのは、中学3年のたった半年程。
それでも僕にとっては強烈な半年だった。

同調圧力に潰されかけたけど、彼がいたから僕は卒業式の日まで、学校に通い続けられた。
卒業後も、高校時代、大学時代、社会人と、それぞれで色々大変だったんだけど、いつもこの半年間のことを思い出した。このすばらしい日々があったから、僕はなんとかやってこれた。

彼も、そうだったらいいな。

いや、そんな過去のことなんか忘れて、未来だけを見つめて明るく生きてくれてるほうがいいな。
そう思うよ。

すばらしい日々だ 力あふれ
すべてを捨てて僕は生きてる
君は僕を忘れるから
その頃にはすぐに君に会いに行ける

UNICORN『すばらしい日々』

関西のごみごみした街を、スーツを着てくたびれながら歩いていると、時々、彼が教えてくれたUNICORNの歌が頭の中に流れてくる。

そんで思う。
いまもあの頃も、日々はすばらしいよ。

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