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フィリピンのスラム街のボランティアに参加した話 その1

今年の春休みに、フィリピンのスラム街でボランティアをしてきました。
ボランティアの内容はフィリピン・セブ島のいたるところにあるスラム街を訪問して、子供たちと遊んだり、スラムの住人にインタビューや食料配布をしたりするものです。

意気揚々と立てた活動計画

このボランティアでは、「自主活動」と呼ばれる、参加者が自分なりに考えた活動を現地で行うことが推奨されていました。
日本から折り紙を持って行ったり、日本語を教えたりすることが自主活動の例として挙げられていました。
大学で医療の勉強をしていた私は、「絵の具でお絵かきをしたあとに、スラムの子供たちに手洗いの仕方を教える」というアクティビティを考え、絵を描く道具と石鹸を日本から持っていくことにしました。
スラムの衛生状態のよくない環境に住んでいるであろう子供たちに、手洗いを通じて少しでも衛生について意識してもらえるといいんじゃないかという思いからです。
時間があったので、フィリピンに向かう飛行機内で手洗いの重要性を説いた即席英語紙芝居まで準備していました。しかし、想定していたこのアクティビティの実施は初日で打ち砕かれることになります。

作った紙芝居。

想定外だったスラム街の現状

到着して最初に訪問したスラムは、町のはずれからバイクタクシーで峠を2、3つ超えた先の山の上にあるスラムでした。総勢40、50人はいるであろう山村スラムの子供たちは、定期的に来る日本人ボランティアを楽しみにしているようで、着いたとたんに手を握ったり、抱きついたりしてきます。

私もそんな子供たちを微笑ましいなと思いながら、用意していた絵の具と紙をカバンから出し、さあアクティビティを始めようと思った瞬間でした。
「GIVE ME!!」「GIVE ME!!」「GIVE ME!!」
そこら中から上がる子供たちの声と、伸びてくる手。
圧倒されたのもつかの間、気づいたら持っていた12色入りのペンや絵の具(日本の百均で買ったものですが)は一瞬にして手元からなくなっていました。
「遊び終わったら、ペンや絵の具は返してね」その言葉を言う間もなく、子供たちはペンを持って散り散りの方向へ。
日本の常識は通用しないのか、と着いて数分で実感させられました。

まあ、楽しく絵を描いているならそれでよいか、と気を取り直し、しばらく子供たちと一緒に遊ぶことにしました。花の飾りを私の頭に載せてくれたり、7,8歳くらいの子が頑張って英語で話そうとしてくれたり、一緒に踊ったりしてました。子供たち、想像していたスラムの子供とは違ってめっちゃ無邪気で元気でした。

こういう感じで踊ってました。

ひとしきり遊んだ後には、炊き出しのような形で大鍋に入ったおかゆとお菓子をボランティアが配っていきます。
これは、全員もらえることがわかっているからなのか、子供たちは一列に並んでしっかり待っていました。

遊び→食事のタイミングこそ、手洗いを教えるチャンス!と思いましたが、そうはいきませんでした。
子供たちは皆、絵の具まみれの手でおかゆを食べ始めていました。時折地面に手をこすりつけて絵の具を落として、またその手を口に運んでいました。
ここで私は、「そもそも手洗いの必要性を感じていない子供たちに手洗いを教えようとしていた」ことに気づいて、はっとしました。

そのあと、山村スラムで生活している方に暮らしぶりについて話を聞くことが出来ました。
山村スラムでの生活は、日用品の調達も山を越えて行うので一苦労。田舎では仕事もほとんどない、でも日々を暮らすのに精一杯で仕事のある市街地に移り住むお金もない、という状況。もちろん、十分に使える水道もない。子供たちに手洗いを教える以前の問題でした。
「必要性を感じていないことに介入する」というアプローチをしようとする以前に、そもそも資源の面で現実的ではなかったんです。
この状況を打開するにはどこから手を付ければいいのだろう…と考えてしまいました。話を聞かせてもらったお礼に、持って行った少しの食料を寄付し、途方に暮れて山村スラムを後にしました。

あるべき支援とは

バイクタクシーで帰り道の峠を越えながら、「支援」について考えていました。
フィリピンのスラムの子供たちには、定期的に日本人ボランティアが来て遊んでくれて、「GIVE ME!!」で何かもらえる、という「与える」「与えられる」の一方的な関係だけでなく「自走できる仕組み」が必要なのだと感じました。「自走できる仕組み」の一つが「教育」なのではないかと思います。

スラムへの訪問の際、フィリピンのお母さんたちに今後の願い(hope)について聞くと、たいてい答えは、「子供が教育を無事に終えること」だったのが印象的でした。
日本だとあんまりこの答えは出てこないんじゃないかと思います。

スラム街ボランティアで学んだこと

スラム訪問を通して、これまで生きてきた自分の中の常識が全く通用しない境遇の中で生きている人たちがいて、支援はその地域のニーズや置かれた状況に即したものでないと届かないということがわかりました。
これを自分の目で見て体感できたことは、結構大きな収穫だったんじゃないかと思います。
用意していたアクティビティはほぼできなかったのですが、むしろ上手くいっていたらこの気づきは得られなかったと思うと結果オーライなんじゃないでしょうか。

気が向いたらフィリピンの話続編も書きます。
(こういう教訓めいた話はもうあんまりないので、普通に体験談です。)
読んでくださってありがとうございました。

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