見出し画像

人口1人の限界集落でボランティアしてきた話

去年の春休みは、石川県にある人口1人の限界集落でボランティアをしていました。
その限界集落は、最寄り駅から車を40分ほど走らせた山の中腹にあります。
集落にある建物は10軒の家のみ。住人の方の家1軒を除いて、すべて空き家です。
そんな場所で、全国から集まった高校生3人、大学生3人の計6人で2週間、集落の唯一の住人・Nさんの家に住み込みでボランティアをすることになりました。

自分はかなり人見知りをこじらせた人間だったので、最初の方は囲炉裏を囲んで談笑しているほかの参加者や住人のNさんとコミュニケーションを取ることもなく、こたつに横たわって一人で本を読んでいました。
正直、周りが盛り上がっている中、なぜ限界集落に来てまで一人で本を読んでいるのだろう…と、自分でも感じていました。
最初3日くらいは途中離脱して東京へ帰ろうかと結構本気で思っていました。

ただ、ひょんなことから住人のNさん(60代)と音楽の話で盛り上がり(自分が当時よく聞いていた曲が昭和の歌謡曲だった)、そこから少しずつ皆の会話の輪に入っていけるようになりました。
それまで、自分は会話の輪に入らずに皆の話を横で聞いている方が楽しいんじゃないかと思っていましたが、意外と会話に入ったり、目の前で起きていることに飛び込んだりしてみるのも楽しいんだなと感じました。

囲炉裏の煙に燻されて生活してました。



またこれは余談なんですが、当時ほとんどお酒を飲んだことのなかった自分が、Nさんに勧められて初めて日本酒を飲み、意外とお酒が飲める側だったことも発覚しました。そこからは毎日のように晩酌して、大学生の子とNさんと3人で一升瓶を空けたりしていました。完全に飲みすぎでした。

ボランティアの内容も、ずっと東京で生まれ育ってほぼ田舎に行くことがなかった自分にとっては経験したことのないことばかりでした。雪かき、空き家の掃除、日々の料理、集落をPRするパンフレットづくりなどを6人で協力して行う毎日で、すべてに新鮮な発見がありました。
なにもない山の中腹から1週間ぶりに山を降り、駅前のスーパーに買い出しに行ったときには「すごい!文明が存在している!」という原始人になったかのような感想が出てきましたし、雪山を滑り降りて木に激突したこともありました。
また、滞在中、Nさんを訪ねて様々な人が入れ替わり立ちかわり集落にやってきて、一緒に食事をしたりお話したりしながら過ごしました。

正直、それまでの自分は「2週間も他人と共同生活をするなんて絶対に無理!!」と考えていた人間でした。
ですが、2週間を経て東京に帰ってくると「やる前はたいそうなことだと思っていたことが、やってみたら意外とできることもある」と身をもって感じ、そうした経験の積み重ねが段々自分の自信になっていくのではないか、と気づきました。

「医学生が田舎の限界集落で農作業のボランティアをする」という、一見脈絡のない経験をしましたが、本当にどんな経験からも得られるものがあるなと感じています。

たとえば、この集落は住人は1人ですが、年間200人が訪れる場所になっています。定住するわけではなくても、その地域とかかわる人数・その地域を想う人数(関係人口)が多ければ、「語り継がれる期間を長くする」ことで、集落の消滅を遅らせることができると知りました。

また、同じタイミングでボランティアに参加していた大学生がたまたま医療系を専攻しており、自分がやっていた学生団体のイベントにその後参加してくれたこともありました。つながりはどこにあるかわからないものです。

振り返ると、少し大げさかもしれませんが、自分がそれまで全く経験したことのなかった世界で過ごした2週間を乗り切れたことが自信となり、そこから新しいことに挑戦する恐怖感がなくなっていったような気がしています。
自分の行ったことのない場所で起こる、そのタイミングでしか出会えない人たちとの交流は、何かしら自分に新しい発見をもたらしてくれるものだなと感じます。

あんまりまとまりはないのですが、そんなところです。
読んでくださってありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?