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国際結婚&海外移住して一番辛かった事

まず先に言っておきたいコトー!それは、物事は何でも「表裏一体」ってコトです。どっちの側面にスポットライトを当てるのか?によって、人生はいいものにも悪いものにもなると思う。

「一番辛かったこと?一個なんて選べないよすべてが辛すぎて…」みたいなのが本音なんですけど、「すべて」をそれぞれ丁寧に見てあげると、どれも共通点があって、それらが私を苦しめたんだろうなって思うんです。で、その共通点が一個じゃないっていう…。そう、海外移住するって色々と大変なのです。かっこいいイメージなんて氷山の一角ですよ、ほんと。

私ね、タイ人夫と国際結婚してバンコクに移住して、大きく2つのことを失った(と感じていた)。

ひとつは「自由」

不自由って本当に恐ろしいわよ…もうあんな思いは2度としたくない!ってくらい、何をするにも私をしばったんだよね。

例えばビザ

私はタイでは外国人なので、当たり前だけどビザがないとこの国には住めません。住んでるんじゃないの、住まわせてもらってるの(イミグレとかでひしひしと感じる)。

見る人からすれば、私って子供の休みの度に日本とタイを自由にさくさく行き来してるように見えるかもしれないけど、タイを出国するたびにやらないといけない手続きはあるし(有料)、ビザ更新は年1でまじ面倒だし(有料)、90日に一度イミグレ(移民局)に顔見せに行かないといけない謎のルールもある。はい、いちいちお金かかるしめんどくさい。

または就労

タイに住む外国人がタイベースの企業で勤めたければ、ワーパミと呼ばれる「労働許可証(ワークパーミッション)」がないといけない。

このワーパミがまた曲者でさ、働けないってのはもちろんなんだけど、ワーパミ持ってる=タイ社会において信用があるかの証みたいなところもあるから、ワーパミないと銀行口座は開けないし、クレジットカードも作れない。ワーパミ持ってない外国人は、信用するに値しないわけなんですね。

更には食事

私、移住して最初の5年間はタイ人義母と同居してたんですね。「今時なんで?」って思うかもしれないけど、タイ人と結婚したら同居絶対、それが文化!だと思ってたし、義兄は豪国に移住してるから、弟である夫しか家族はいない(義父はとっくの昔に他界)。80近くの母親を実家に置いて嫁と別居だなんて、当時の夫は考えてもなかったと思う。

で、その義母ってのがまた大変でさ。彼女は人生の大半を看護師として勤めた人で、人のお世話を生きがいとしている部分がある人。でも夫には先立たれたし、息子はもう大きいし、リタイアしたから患者さんはいないし、「お世話する対象」の席がぽっかり空いてたんですよね。

そこに突然タイ語喋れない日本人の女が嫁としてやってきて、しまいには移住直後に妊婦さんになられて。「どうぞ座って座って!私が面倒見るわよおおおお!」みたいな感じで頼んでもないのに席に座らされて、まあそれはそれはご丁寧にお世話してくれたんです。妊娠中にサンダルかなんか買いに行った時に、膝まづいてストラップを止めてくれた時は私も店員もびっくりしたわ。私はお姫様にでもなったんだっけか?自由を許されない悲劇系のね…

「お嫁さんは辛いものが食べられないから、これなら食べられるかな?」って、見たこともない形姿をした「Sushi」という名の、けど私が知ってる寿司じゃないびちゃびちゃのお米の塊を渡されたり、一度食べて「美味しい」って言ったら、1週間毎日同じものを買ってきたり。「週末分よ」ってクロワッサンを6つ渡されて、冷凍しときゃいいのに「土日、毎食クロワッサン食えってか?」ってクソ真面目に思い悩んだり。

働けなかったから、最初はありがたかった。けど、ある程度タイの暮らしに慣れてきたら、「自分の献立くらい自分で決めせてくれよ、せめて買ってくるならおいしいご飯買ってきてくれよ!悪いけどまずいんだよ!!」って、思春期の女子高生みたいに抵抗するようになった。そして何よりも、お世話されればされるだけ「私はここバンコクでは何ひとつ1人で出来ない、お金稼げないくせにコスパは悪い外人お荷物妊婦嫁なんだ」って、思ってしまったんです。

そんな日々をつい現地の日本人に打ち明けた時に「すごい贅沢なこと言ってるよ。孫の面倒見てくれるんでしょ?」くらいに言われて、ああ私って贅沢なこと言ってるんだ…こんなことで文句言っちゃいけないんだって自分の気持ちを押し殺した。けどさ、いくら外国人で妊婦だからってさ、自分が食べたいものも食べられず、義母が買ってきた美味しくないご飯を「食べなくちゃいけない」って、ありがたいし申し訳ないんだけど、嫌なもんは嫌じゃない?こっちは妊娠によるホルモン崩壊で頭ん中ぐちゃぐちゃでさ、自分ですら理解不能な謎の食のこだわりとかあるのにさ?

そんな事から、第一子妊娠時は9キロ、第二子は6キロしか体重が増えなかった私。日本人より重めになるタイ人妊婦さんには「だだだだ大丈夫?」とかなりビビられましたし、義母にも「もっと食べなきゃだめ」と言われた。いや、どの口がいう???

食べられなかったんじゃないんです、(義母が買ってきたご飯を)食べたくなかったんです。だって、食べたらまた1週間同じものを買ってくるお化けが出るんだもんね…。

「たかがご飯」「用意してくれるなんてサイコー」と思う人もいるでしょう。でも毎日3回って地味にちりつもだし、せめてもの自由じゃないですか?自分が食べたいもの、おいしいと感じるものを探すのも難しいこの国で、食べたくもないパッサパサのツナサラダとかさ、シンプルにいやなんですって、悪いけど。

「自由」の次に失ったもの。それは「自分」

日本にいた頃は当たり前のように持っていたもの、それらをすべて失ったんですよね。やりがいのある仕事や同僚、血縁の家族、そして友達。あって当たり前の存在だったから、これらの土台があっての自分なんだって事に、全然気づいていなかった。

そして、自分を支えてきてくれた土台がなくなると「どうやって立ってたんだっけ?」みたいな感じでロス状態になり、自信とか自己肯定感とか、それらも一緒に一気に崩れていった。

でもこれってさ、崩れてみないと分からないことだった。これまでの私にとって、仕事や家族や友達がどれだけ大切な存在だったか、失ってみないと理解できなかった事。

だから、あの頃は一生分くらい苦しんだし2度と戻りたくない暗黒時代だけど、でも当たり前のものを感謝できるようになったというサイドエフェクトを得ているのも事実。

ほら、いうじゃないですか。「Things happen for reason」って。やっぱ物事には意味があるんですよね。私がバンコクに来て、まんまと自由や自分を見失ったのは「1人で生きてるなんて思うなよ、どれだけ色んな人に支えられてるか、思い知れ!」って事だったのかなと。ちょっと手荒かったけどね。

だからね、もういいんです。あの頃はあの頃。あの頃を経た今、私は私を生きているか?自分の人生の舵を自分で切れているか?「今」が大事。

だって過去は帰ってこないし、未来はまだ起こってもないんだから。集中するは今でしょ!ってことで、今だけにフォーカスするようにすることで、過去の傷を少しずつ癒して、前を向けているような気がします。


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