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ぱり日記

2010.12.31
○羽田で綾戸智恵が‘テネシー・ワルツ’を歌っていた。この会場のどこかにカメラが?と、きょろきょろしていたら、横に居た金沢人に『自分何きょろきょろしとんがん。綾戸さんの歌ちゃんと聞かんか?』と、言われる。よくみたら隣の女こと・K子だった。

2011.1.1
○シャルルドゴール空港に着く。1月1日は国鉄・メトロが無料と聞いてだんぜん電車を待つが・・・、待つが…、待つが…、来ない。5:45から8:30まで寒い屋外ホームでじっとしていた。さすが魔の鉄道RER。(※魔の鉄道と言われる所以…前回の旅で私はキセルし、私服鉄道員につかまり7000円の罰金を払った。それ以来パリの電車が怖い。)

○クリニャンクールの蚤の市の近所にチェックイン。
 『スリ多発地域』だから厳戒態勢を敷いて歩いたが、スリどころか、人がいなかった。近所のパン屋ではマカロンが60円だった。菓子が安い安いってたくさん買って買いすぎて最終的に食べきれなくてカチカチになった。行く先々で『ぼなねー』(あけましておめでとう)と言われる。

1. 2
○モネ大回顧展。氷点下に2時間半並ぶ間、噴水の石像にアテレコして遊ぶ。『寒いわね~。あなたおっぱい丸出しじゃない』『あんたこそ何にも着てないじゃない。ばかじゃないの?ち~じょち~じょ(痴女)』。そうこうしてると、ガードマンが「ミカンダヨ」ってオレンジくれた。

○エッフェル塔いったら、東京タワーと違ってフットタウンが無かった。エレベーターが10000メートルくらいの行列だったので、階段で登ることに。しかし私たちの手にはタウンページ二冊分くらいの巨大なMONET展の画集が。THE・無計画。ひいふういって展望台。

〇黄昏時の街を見下ろして「私のニノはどこにいるのかしら…?」と、家々の窓辺から反射する光を探す隣の女。
※映画『アメリ』参照。夢を見るのは自由である。
〇土産物屋のエッフェル塔のパンツは買わなかった。あいつらなんにでもエッフェル印刷すれば売れると思ってるな。この雑さ。普段東京タワーの創意工夫された(?)土産物に慣れている私は、騙されない。※当時は東京タワーで働いていた。 


○調子こいて午前蚤の市からの午後ルーブル行ったら、全然周り切れなかった。3時間半でむりやり1周した。途中で隣の女の顔を見たら、瞳孔が開いたままで、一つ一つの作品に焦点を合わせられていなかった。
  絵で気になったのは、ウッチェルロ『サン・ロマーノの戦い』、アングル『グランド・オダリスク』、フォンテンヌブロー派『ガブリエル・デストレとその姉妹ビヤール公爵夫人とみなされる肖像』。


向かって右が、毒殺されたといわれるガブリエル・デストレ。左がその妹。裸なのはここが浴室だからだそう。乳首をつまんでいるのは懐妊を暗示しているそう。

彫刻では、ランパンの騎士、マルス、奴隷、クピド、両性具有ちゃんなどが良かった。高校時代の美術史の西野先生ご推奨の『水色かばちゃん』は今回も見当たらなかった。どこにいるの?

○近所の『成田』というテイクアウト日本食屋で、定食を買う。店主・似非日本人ナリタ(イラスト右下に出てくるしょぼくれたおっさん)。何を聞いても「定食?安いですよっ」「電子レンジ?温めるだけですよっ」と、答える口調が投げやりでムカつく。そもそも客が来たときに「なんでくるの?」みたいな意外な顔をしていたことが変である。あーいうやつ、クラスにいたらいじるよね、ということでK子と意見が合致し、その後 毎日いじめに・・・じゃないやいじりに行く。


1.4
○ヴェルサイユ宮殿に行く。
○寒かった。バラなどは咲いているはずもなく、荒涼とした800ヘクタールの領地に生えるすべての木々は禿げていた。雪が積もり、噴水も水たまりも凍り、白鳥が飛来していた。マリーアントワネットが飼っていたヒツジも寒そう。むしろ吹雪いていた。

そんな中、宮殿だけではもったいないからと、どこかのバカがプチ・トリアノン(マリーアントワネットの離宮)に行こうと言い出した。「きんかんなまなまやな」と言う金沢人と連れ立ち、氷点下の屋外を、40分歩いて離宮へ向かう。寒すぎて心も体も凍傷となり、くじけそうになる。途中庭園の売店でやたらと高いホットショコラを購入するが、吹雪に吹かれて即アイスココアに降格していた。到着したプチ・トリアノンは本当に、ぷち。内装はベビーピンク・白・水色のバラ柄で、超可愛かった。宮殿より、こっちを見たほうがマリーの乙女心がわかるよ!と、地球の歩き方に投稿しようと思った。帰り道は映画『サウンド・オブ・ミュージック』より「マリア~私は16歳、もうすぐ17歳~なにか良いこと」を歌い踊りながらるんるんだった。
○ヴェルサイユを出たら、10ユーロ落ちていた。一度通り過ぎたが、わざわざ戻って拾った。そのあとそれで
うらぶれた食堂でパニーニを食べた。


1月5日
○モン・サン・ミッシェルに行く。高速鉄道TGVに乗った。窓口でフランス語でticket買うのをがんばった。
○バスに乗る際「けらーじゅあべぶ?(何歳)」と聞かれないから、「あ~あたし若く見えるもんね」とタカをくくっていたらまんまとアダルト料金をとられそうになる。「あたくしヴァンサンカン(25歳)なんですけど(嘘。当時26歳)」というと「OH!それは失礼!もっと年寄りに見えちゃったYO!わははわはは」と運転手。つられて笑う中国人観光客と、K子。許さない。
○モンサンでは朝から会う人会う人全部日本人。「In this place, 20%of tourists come from Japan.」とか言っている金髪のお嬢さんとすれ違い、おのぼりさんで恥ずかしい気持ちになる。
○修道院の中では、オレンジ色の小鳥が道案内をしてくれる。神様の使いか。
○レンヌ駅でのお菓子屋めぐりが結構楽しかった。スミレ味のボンボンを買う。隣の女はカフェオレボウルと、くさりがまみたいな道具を意気揚々と購入している。「なんか、ディスプレイに使えると思ったんやけど」と、道端の松の木から、超巨大まつぼっくりを4つもいだ(2021年に確認したら金沢の女はまだこの松ぼっくりを所有していた。私は中国に行くときに捨てた)。ケーキを買ったら紙でピラミッド型に包んでくれた。
帰宅してからベッドの上で貪り食う。治安悪い地域だったしお金なかったし、夜は外食しなかった。大体テイクアウト。


1.6
○最終日。モンマルトルで、アメリの働いていた『cafe 2 moulin』に
まんまと入る。まんまとクリームブリュレを頼み、まんまとスプーンで割る。
画家気取りで店内をスケッチし、犬連れのパリジャンに褒められ、ナンパ
されるK子。私はそのころから地味に具合が悪くなっていた。

◦パリのドンキこと{Tati}であれもこれもと雑貨を物色するうちにトイレを催したわたし。建物内にあるだろうとタカをくくり、ふらふらトイレを探すうち、本気で我慢できなくなってきた。店員に、広い店内にはなんとトイレがないと知らされ、焦って二軒隣のマックまで走って用を足しにいく。
いそいでTatiに帰ると、私を探しているようすのK子。見つけるやいなや、
「そういうのはちゃんと言ってから行かんとわからんやろ💢」とご立腹のK子。謝る私。
なんやこれ新婚旅行の気の利かない夫としっかりものの妻か?


○凱旋門に来た。
遠くから門を眺めて、写真を撮る。シャンゼリゼ通りをお散歩。
やっぱりフランスの服は安くても、おしゃれ。
オーガニックコスメの店でなんか買い漁るK子。私はアイシャドウと眉毛描きの区別もつかないので、震える手でテスターのにおいをかいだりしながら、ただただ暇をつぶしていた。
GAPでは、もうあっこ(身長169cm)も大人なんやし、ぺたんこ靴やなくてロングブーツ履かんか?あたしも履いてるし、これ40ユーロでお買い得やじ?と、店員ばりに勧めてくるK子(身長171cm)だった。
○あっこ…風邪ひいて夕方5時就寝。
  K子…何してたかしらんが、夜更けまでカチカチのマカロンとキャッフェでも飲みながら、パリジェンヌごっこしてたのかもしれない?


1.6
○翌日、チップを置いて、ホテルを出、慣れ親しんだクリニャンクールを後にする。
空港では、メイクを落としたアラサー二人が、パリの東急ハンズ(クラフト用品を売るデパート)で購入したパピヨン(蝶)の仮面をかぶって痛々しい記念写真を撮るなどした。
搭乗口に行くと、あのマカロンで有名なラデュレのポップアップショップがあった。「かわい~♡」
旅程の中日に財布を携帯し忘れあまりお金を使わなかったため、ユーロの残りが結構あるわたしと、
なんやおしゃれなもんぎょうさん買わはって2サンチームしかないK子。
K子は私の財布から5千円ほど支払い、ラデュレのトートバックを購入した。※ちゃんと返してもらいました。
さよならパリ。
今度来るときは夫が海外赴任でもしない限り、30代か40代であろう。



※追記:30歳の時、霊能力がある叔父に連れられて巴里再訪。

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