【怪異短篇】渓流釣り(前編)

僕は悪友の砂山と釣りの腕で競っていた。

僕らの住む町には、ヤコ川という大きな川が流れている。

上流へ行くと、森に囲まれ清らかな渓流となっている。

渓流魚であるヤマメやイワナ、ゴギの解禁は8月末までだ。

年間遊漁券(対象の魚を釣ってもいいパスポート)を持っている僕と砂山は、どれだけ獲物が穫れるか競っていた。

砂山はイヤな奴で、テストの成績や体育の評定でもいつも僕を張り合いにしてきた。

あいつに勝ち名乗りを上げさせると、僕は心底腹立たしかった。

相手にしなきゃいいだけだが、それを許さないほどに粘着してくるのだ。

砂山は僕に写真を見せた。

ヤマメ、イワナ、ゴギ、ニジマス…美しくて、大物ばかりだ。

奴は自慢した。

「まあ、工夫の差かな…。俺は君みたいに恵まれてないから。釣具も安いし、頭を使って工夫しなくちゃ君には勝てないから」

砂山が僕より安い道具を持っているのは事実だ。彼の家が貧しいからだ。

その棘のある言い方に、僕は闘志を燃やしていた。

奴は、僕を金持ちのボンボンと揶揄する。

「恵まれた環境だからこそ」の男だ…と。

それで砂山は、僕に対する劣等感を充足させているようだった。

僕はなんの根拠もないが、言い換えした。

「まあ、見てろよ。土曜日には、僕だって大物を釣って見せる」

砂山は笑っていった。

「まあ、でも、僕は『よこし』に行ったんだけどね」

僕は少し身震いした。

『よこし』

それはヤコ川の渓流にある、ある種の禁足地だ。

本当に禁足地という訳では無い。なにか、昔「よくないもの」が出たとかで近づかない方がいいとされている場所だ。

都市伝説と言うか、噂話程度のことだ。

小さな滝があり、周囲は森と灌木で鬱蒼としている。

人気が無いし、魚の通り道であるので大きな釣果は期待できると噂される。

砂山は言う。

「何もなかったよ。しんとして人の手が入ってなくてさ。ちょっと怖い雰囲気だが…魚はすごく釣れた」

『よこし』にはカッパが出る、龍が出る、幽霊が出ると色々と噂がある。

いずれも眉唾だが、気味の悪い思いをしてまで釣りで勝ちたいと僕は思わない。

だが、それでも得意げな砂山の顔を見ると、対抗せずにはいられなくなるのだった。

土曜日が来た。

僕は早速渓流へ出かけた。

『よこし』へ踏み入れ、釣りをする。

『よこし』は人の手が入ってない…小さな滝だった。

不気味どころか、とてもきれいな場所に見えた。

緑の中、渓流の流れる音を聞きながらルアーを操るのは心が洗われる。

清らかな滝の音も、苔むした土の匂いも僕を癒やしてくれた。

砂山とのしょうもない諍いも、しばし忘れてしまう。

僕は明るいうちから、何度もルアーを水面に投げた。

だが、釣果は芳しくなかった。

ルアーから餌に変えた。

ポイントを何度も変えた。

全く何もかからなかった。

結局、あたりが薄暗くなり、肌寒さを感じるまで僕は『よこし』で粘っていた。

防水サロペットを履いた脚に、渓流の冷たさがしみてくる。

帰ろう。

もう森も翳ってきた。

先程まで美しい自然だった『よこし』が、不気味な暗闇をまとい始めていた。

薄暗いと、ここは確かに不気味だ。

人の世から隔絶された気がする。

きれいだった滝の音が、無機質なものに変わり、恐怖を煽る。

僕は渓流から上がり、ルアーをタックルボックスにしまう。釣り竿を畳むと、空っぽの魚籠(びく)を腰から外した。

魚籠が川岸にストンと落ちた時だった。

同時に、どこからか、立派なヤマメが魚籠のそばに落ちてきた。

よく太って大きなヤマメだ。

誰だろう。

こんな立派なヤマメを放ってよこすなんて。

僕はすぐ合点がいく。砂山だ。

あいつも釣りに来ていて、こんな大物が釣れたんだろう。

嫌味なやつだ。

僕はヤマメが飛んできた方から顔を上げた。

暗い森の木陰に、それはいた。

僕は間違っていた。

砂山ではなかった。

【つづく】

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