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【ショートショート】後回しグセと夢のコーヒー

Aは何でも先延ばしにする男だった。

小さなころからお手伝いや、勉強は全て後回し。
解決すべき問題からは全て目を背け、後回しにして生きてきたのだ。

勉強、宿題、大事な約束…彼はとにかく精神的負担になる課題はのべつ幕無しに後回しにした。

社会人の今、当然ながら仕事でも嫌な仕事は全て後回しにする。

今現在も、彼自身のミスで得意先に大損害を与えてしまったのだが…

その報告と謝罪の電話を早急にしないといけない。

だが、相手が失望し、激しく怒るのは目に見えている。
さらに、上司にも申し開きをして、沙汰を待たないといけない。

多大なるストレスが待ち受けている。

いや、よそう。
1日くらい延命したっていいだろう。

今日は電話しなくていい。
また後日しよう。

Aは心の中でつぶやいた。

だが、彼はそう言い続けてはや3日である。

彼は、平静を装い、定時に退社すると会社からの電話におびえながら帰路につく。
怒り心頭の得意先が、こちらより先に会社に連絡すると万事休すだ。

だが、それでも彼は、目の前の問題から逃げ続ける。

こんな場合、正常な方の場合、とっとと怒られた方がマシだと思うだろう。

Aは病的な後回し癖があるのだ。

彼は、目の前の問題と向き合うと言う事が地獄のように辛いのだ。

Aがしばらく歩くと、大きな野犬が、電信柱にしがみついている男に吠えている所に出くわした。

Aは何気なく、人助けのつもりで大きな声を出し、石を犬へ投げた。

野犬はたまらず逃げていく。

電柱にしがみついていた男は、降りてお礼を言う。
「ありがとうございます!なんとお礼を言ったらいいか」

男の姿を見たAは足が震えた。
男は、大きな白い眼をしており、口や鼻がなかった。
肌の色は薄い灰色である。

Aの様子を見て男は言った。
「これは、失礼。私は地球外から来たドリム星人です。地球を視察中のところ、先ほどのような獰猛な野獣に襲われたのです」

Aは呆気にとられた。
「これは夢じゃないか」

ドリム星人は言う。
「現実ですよ!まあ、我々の視察は秘密裏に行われていますので。驚くのも無理はありません。私の命を救ってくれたあなたには、ぜひともお礼がしたい。地球人のすばらしさを肌で感じることができましたよ」

Aは手を振る
「いいよ、お礼なんて」

「ダメです。受け取ってください。ドリム星人は義理堅いのです。返報の品を受け取ってもらえないとしたら、死に値する不名誉です。この場で割腹いたします」

「そんな無茶な!わかった、じゃあ、お礼になんか頂きたい」

ドリム星人は笑顔になった。
「ありがとう!では、我々のよく使う嗜好品をどうぞ」ドリム星人はボトルに入った黒い液体を取り出した。「ドリム星特産のコーヒーです。癒しの精神作用があります」

Aは受け取ってまじまじと見る。一見して普通のコーヒーと変わらない。
「どんな効果があるの?」

「これを飲めば、夢の世界に耽溺します。すべてを忘れ、長い時間夢の世界を放浪するのです。そこは、現実の時間とは切り離された、癒しの空間なのです。あなたが夢の世界を何年も放浪したとしても…現実世界は大して時間が経っていない。つまりわずかな時間で、長時間ぼんやりと夢うつつに休んだことになるのです」

「へー!面白そうだ」とA「コーヒーを飲めば、夢の世界で休める。でも、現実は時間が経っていない…そういう事だよな」

「そのとおりです…。ですが、地球人にはまだ試した例がありません。気を付けて使ってくださいね」

「副作用とかあるかい?」

「ありません。ただ、自分のやるべき仕事などは…必ず終わらせてからにしてください。でないと‥‥」ドリム星人がそこまで言うと、先ほどの野犬が戻ってきた。

そして、なぜかドリム星人に吠え付き、とびかかった。

ドリム星人は説明を中断すると、悲鳴をあげて走り去ってしまった。

「やるべき仕事を必ず終わらせてから」
ドリム星人の言葉が、脳内で反芻され、Aは例のトラブルを思い出した。

まあ、いい。
おかしな体験をしたものだ。
Aは、ドリムコーヒーをカバンにしまうと再び歩き出した。

翌日。
やはり電話できなかった。

だが、もうこれ以上は無理だ。
これ以上先延ばしにしては、得意先もさらに怒って連絡して来るだろう。

Aは電話の前に座り、憂鬱となっていた。
もう先延ばしは不可能だ…。

そんな時、ふと、昨日のドリム星のコーヒーを思い出した。
確か、長い時間をゆっくりと休めるいっていた。

切羽詰まったAは、ドリム星のコーヒーを取り出し、ごくりと飲んだ。

気付けば、Aは別の世界にいた。

そして、まさしくそこは夢の国であった。

紫色の空に、エメラルド色の雲が浮かぶ。
Aは空を飛ぶことができた。

どんな高い山や摩天楼も悠然と空から見て回る。
そして、山の上に信じられない広さの豪邸を所持していた。

豪邸には美しい妻がいた。

ろくに働きもせず、毎日遊んで暮らした。
それでも生活に困ることはない。お金が減らないのだ。
まさしく夢のような生活だった。

「ああなんて素敵な生活だろう…」Aはつぶやいた。「この夢が終われば、あの嫌な電話をしなきゃいけない。それだけが、のどに痞えた魚の骨のように引っかかる」

Aは嫌な後回し仕事をたびたび思い返した。

だが、そのたびに、旧来の後回しを発揮し、忘れようと夢に耽溺した。

そうして早3年の月日が過ぎた。

3年も過ごしてしまい、Aもさすがにまずいと思った。
だが、現実で3年もたっていたら、さすがにクビになっているだろう。

Aは一旦夢から覚めた。

すると、驚くべきことに、3年前のコーヒーを飲んだ瞬間に戻ってきていた。

素晴らしい技術だ!
Aは狂喜した。

そして、さすがに仕事を終わらせようと受話器に手を伸ばすが‥‥

ダメだった。勇気が出ない。
やはり後回しにしよう。

夢の国では、時間は経たないのだ。
少々大丈夫だ。

Aはそうつぶやくと、今度は多量にコーヒーをぐびぐびと飲んだ。

次の夢の世界では、10人の美しい妻を娶っていた。
また、大富豪であり、働く必要はない。

日がな遊び惚けるだけ…

彼は1日に数回、「この夢が終われば…例の電話を掛けなきゃいけない」と心痛する。

結局Aは20年ほどその世界で過ごした。

その次は、偉大なる冒険家の夢

その次は、世界的スーパースターの夢…

大量にコーヒーを飲んだので、一向に覚める気配はなく、彼はも半世紀以上も夢の世界で過ごしていた。

もはや、病的な後回しグセのある彼が、回心し、元の世界で得意先に電話をかけることはないだろう。

コーヒーが尽きるまで、何十年も、ひょっとすると何百年も夢の世界を耽溺するに違いない。

それだけ、余りにも夢の世界は甘美なのだ。

ドリム星人の呟いた警告。
まさにこの点であった。

やるべきことを終わらせてからではないと、自制心を失わせる夢の世界では、ずっと後回し、先延ばしを繰り返してしまう。

さらに、「あのやるべきことが終わっていないけれど…」という、不快で呪いのような小骨が、いつまでものどに刺さって抜けない状態に囚われてしまうのだ。

Aも例に漏れない。

さっさと電話をして、怒られて終わればいいものを。

彼は、コーヒーが尽きるまで現実に向き合うことはないだろう。

長きにわたり、心の底から楽しめるはずの夢を、呪われた小骨に支配されつつ過ごしていくのである。

【おわり】

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